2014年9月23日火曜日

フリーダ・カーロとディエゴ・リベラ 「命の源泉みたいな絵」

堀尾真紀子という人が書いた「フリーダ・カーロ 引き裂かれた自画像」(中公文庫、1999年)を読んだので、ジュリー・テイモア監督の映画「フリーダ」(2002年)と比べてみた。映画の方はヘイデン・エレーラという人の書いた評伝「フリーダ・カーロ 生涯と芸術」が原作だ。サルマ・ハエックという女優がとても魅力的な映画である。ディエゴ・リベラについては1988年1月のメキシコ旅行以来かなりの思い入れがある。いくつもの壁画を観てすごい人がいると思い、いつかはもう一度メキシコを訪れたいと思い続けてきた。フリーダ・カーロはディエゴ・リベラの妻だった人で一度離婚したが、ふたたび一緒になっている。それ以外にはフリーダ・カーロのことは最近までほとんど知らなかった。

フリーダの絵は生で観る機会がなかったが「二人のフリーダ」という絵をウェブで見つけてから、とても気になった。二人のフリーダが座っている。右にいるのはメキシコの民族衣装をきた幸せな日のフリーダ。左にいるのは白い欧州風のドレスをきた不幸なフリーダ。ディエゴが自分と共にあると思う時フリーダの心は満たされる。そうでない時にフリーダの心臓は苦しむ。その様子を自分で描ている。心臓から飛び出している血管は鉗子で抑えてある。血はそこで出たり止まったりする。まるでつげ義春の「ねじ式」の世界だ。他にも刺激的な絵が多い。別の絵では家族がテーマで家系図のように配置された両親とそのまた両親たち。その母の中に胎児としてのフリーダがいる。もう一枚は自らの誕生の場面を自身で描いている。もう一枚は無理やり食べろと強制されている自画像。この人はまるでマンガの吹き出しみたいに思ったことを絵にしてしまう。

2002年の映画は全編にわたってフリーダを賛美している。絵が好きな少女は画家ディエゴに恋をする。困ったことにこの天才は誰にも所有されることのない豊饒の人で、フリーダを愛しながらも他の女性を追いかける。映画では妹にも手を出されて堪忍袋の緒が切れたフリーダは彼を離婚する。堀尾本では離婚を切り出したのは自由を求めた夫の方。「仕返しのための情事」についても映画では革命家トロッキーとの関係が抒情的に描かれるが、堀尾本では若い日のイサム・ノグチやらNYの写真家やらの存在が指摘される。映画からも本からも共通して伝わってくるのはお互いに対する敬意の強さ。フリーダは彼の女癖の悪さに傷つき、自立することを願って絵を描くことに熱中するが、かえってそのことでディエゴへの尊敬と愛着を強めてしまう。一方でディエゴもフリーダの才能を見抜いている。「フリーダの絵は生命の源泉みたいに神秘的に思えるんだよ。フリーダの絵は今にきっと、世界中に知られるようになるような気がするよ」。ディエゴの予言は見事に的中した。

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