2015年2月24日火曜日

「ふるさとの訛りなつかし。。。」 越後弁のこと

長岡の同窓生たちの会話で、A氏のあるコメントに応えてB氏が「なじょうも、なじょうも」と返すやりとりがあった。子供の頃にこの言葉は何度も聞いているので懐かしい。「なじょ」は「何故に」「如何に」「どうして」というくらいの意味だ。「なじょうも」は「なじょでも」であり、「どうしても。是非どうぞ。」と勧誘を示すことが多いが、B氏の用法では「同意」を示す。これはA氏の発言に対して「いくらでも、如何ようにでもご随意に」というところから「反対しません。どうぞどうぞ。」の意味になる。「なじらね」(具合はどうですか?)と挨拶されて、「なじょうも」と返す場合には「どうということもないです」から転じて「大丈夫です。元気です。」の意味になる。

美空ひばりが歌った「ひばりの佐渡情話」という名曲の中の「島の娘はなじょして泣いた」というフレーズも懐かしい。「なじょして」は「どうして」だから問いかけの表現だ。「ふるさとの訛りなつかし停車場の人ごみのなかにそを聴きにいく」と歌ったのは上野駅界隈を逍遥した石川啄木だが、久しぶりに越後弁を懐かしんでいたら、ロシア語の「パジャールスタ」という言葉もいくつもの用法で使われることを思い出した。

ロシア語で誰かが「スパシーバ」と感謝した時に「パジャールスタ」と返すのは「どういたしまして」の意味だ。食事を勧める時に使えば「どうぞ」の意味になる。食卓で手が届かないものを回してほしい時には「すみませんが」の意味が強まる。お店で使えば「お願いします」の意味だ。さらに面白いのは行列に並んでいて誰かが列を乱そうとした時に少し強めに使えば「ちょっと(何やってんのよ)」の意味にもなる。同じ言葉をいくつもの場面で使い分けることによって、決定的な言い方を避けるとともに、言葉よりもその言い方やボディ・ランゲージと合わせての表現を大事にするのだと思う。

1991年の始めから海外で働いてきた。仕事では英語を使っている。会議などで発言するときは、はっきりと強くものを言うことを心掛けている。友人や同僚の邦人たちで、ケンカや仕事は英語のほうがやりやすいという人はたくさんいる。わたしのつれあいは耳が良いのに加えて、若い頃にアメリカ英語を学んでいるので英語が上手だ。結婚してしばらくしてから夫婦喧嘩をした時に、英語で抗議の言葉が飛び出してきた時にはびっくりした。

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