2016年7月16日土曜日

英国首相の就任スピーチ

6月に行われた国民投票以前のBBCの予測記事ではメイ内相はオズボーン蔵相、ジョンソン元ロンドン市長と並んで、次期首相候補の3強の1人だった。3月24日のBBC記事によるメイ女史の人物評は「英国のメルケル(=強い女性)、手堅い実務手腕、カリスマ性を欠くとの声もある」などだが、重要な閣僚ポストである内相を長く勤め、移民問題、犯罪撲滅ではタカ派の姿勢で一貫していて、保守党内の人気は常に高かった人だ。党首に選ばれての第一声では「EUとの交渉をまとめることで英のEU離脱を成功に導く」と「人々に強い決定権(コントロール)を与えることで国内の統一をはかる」を強調している。

メイ新首相が7月13日に行った就任スピーチのコピーを入手したので、帰りの電車で読んでいて感動した。格調の高い名演説だ。スピーチライターの世界を描いた原田マハ著「本日は、お日柄もよく」を思い出した。以下はスピーチの抜粋。

「もしもあなたが普通の労働者階級出身だとすれば、多くのウェストミンスターの政治家たちが理解しているよりもずっと大変な人生でしょう。あなたが仕事についているとしても、いつまで仕事があるか心配していることでしょう。あなたが持ち家に住んでいるとしても、これからのローンの返済がどうなるかを心配していることでしょう。あなたがなんとか日々の暮らしをやりくりできているとしても、生活費をまかなうことや子供たちをどうやって良い学校に入れようかということで思案していることでしょう。私はそんなあなたがたに、直接呼びかけたいのです。あなたがたが昼夜働きつめていて、ベストを尽くしていて、それでも時折うまくいかないこともあることを私は知っています。私が率いる政府は、少数の特権階級ではなく、あなたがたのことを優先することによって運営されるのです」(原文より抄訳)

揚げ足取りで恐縮だが、メイ首相の就任スピーチを紹介している大手A新聞が以下の部分を誤訳していた。

「もしあなたが普通の労働者階級出身だとすれば、ウェストミンスター(ロンドン中心部)の人よりも人生はずっと大変でしょう。」(A新聞訳)
これは「than many people in Westminster realize」の箇所の訳だ。訳した人は「ロンドン中心部に住む富裕層よりも」という意味にとったようだが、この意味ならお洒落なチェルシーやハロッズのあるメイフェアのほうがピンとくる。ウェストミンスターは国会議事堂の所在地だ。ビッグベンの大時計のある建物がそびえ立つ辺りだ。このスピーチの主要メッセージは弱者目線からの新しい政治姿勢を訴えることなので「多くのウェストミンスターの政治家たちが理解しているよりも」と訳すべきところだ。

 

バングラデシュのテロ事件で気になったこと

バングラデシュで開発協力事業に携わっておられた方々が命を落とされたことで心が痛んだ。わたしも長くこの業界でお世話になったので複雑な思いがする。1995年3月のバクーのクーデター未遂の銃撃戦はわたしの宿泊していたホテルの前で起きた。1999年4月にはタシケントに赴任する直前に、職場近くで大規模な同時爆破テロが起きた。2010年4月のキルギス政変の時には住んでいた家を逃れて地元の友人の家に避難した。一週間ほどは何が起きるかわからなかったので緊張した。そういう事態が起きている国に駐在していて、偶然テロの現場に居合わせればいつでも巻き込まれる可能性はある。

1)駐在ないし長期出張先の国でテロ事件に遭遇する可能性があること、2)それらの国々に親日家の人々がいて親切にされることも、そうでないこともあること、3)開発協力の対象となる途上国に不満を抱えた人々を生み出す状況が存在していること、4)不満を理由として暴力に訴えるテロリストが存在していること等がテロ事件が起きるたびにひとからげで報じられ、議論されている気がする。親日国かどうかを事件発生後に議論しても仕方がない。その国の現状を分析し直したところで殺された人が生き返るはずもない。テロリストが次々と誕生する社会の仕組みについて分析すべきなのはまた別の話だ。開発協力などで治安が不安定な国で仕事をする場合に、事件に遭遇するリスクをどうやってミニマムにするか?セキュリティのプロに頼ることも含めてどのような対応が可能か?そのためにどのくらいのコストがかかるかに絞った議論が必要だ。


先日、友人たちとの会合でバングラデシュの事件の話になった。「どうして「我々は日本人だから殺さないでくれ」なんて恥ずかしいことが言えるのだろう」という疑問を呈する人がいた。「どこの国の人であろうと平等に助かるべきだ」という趣旨の質問だと理解している。しかし異国でテロ事件に巻き込まれて「日本人だから。。。」と訴える側にも、言い分はあるはずだ。1980年代の途上国に駐在する商社マンたちの悲哀と苦労を描いた「僕らはみんな生きている」という映画がある。この映画の中でも空港への脱出をはかる4人の駐在員たちは「われわれは日本人のビジネスマンだ。おたくの国の中の仲間割れで殺さないでくれ」と訴えていた。それでも銃弾の雨は降ってきた。


殺されるかもしれない状況で「自分は日本人だ。異国の土地で死にたくない」というのは自然な感情だ。誰かよその国の人を身代わりにして自分だけ助かりたいというのとは次元の違う話だ。もしも自分が殺されるほど誰かに憎まれているのなら(それも困るが)、少なくとも理由を聞きたい。何も知らずに殺されるのは嫌だ。ましてやその場にただ居合わせただけという理由で殺されるのは納得できない。大音声で自分が誰であるかを告げて「貴様たちも名を名乗れ!人違いではないのか?何故銃を向けるのだ?」と問い質すのは当然だ。それでも、コミュニケーションが成立しない場合もあるだろう。戦前のどこかの国みたいに「問答無用」と撃たれることもあるかも知れない。それでも無言で死ぬのは嫌だ。
 

「キルギス人と日本人は兄弟」という説がある

キルギス駐在時代の友人からショロ社の記事をシェアしていただいた。この記事に登場している社長さんとは何度もご一緒する機会があったので懐かしい。東北大震災の時に被災地にミネラルウォーターを届けてくださった人だ。文中に「もし必要があれば、震災孤児をジュマドゥル氏が自身の家族で受け入れることができるという表明を日本大使へ行った。社員の中にも受け入れに名乗り出る人々が相次いだ。」と紹介されている。

2011年3月にわたしはビシュケクのTVで津波と震災と原発事故の様子を見ていた。わたしも現地の友人から「放射能で大変なことですね。日本の家族や親せきが住むところに困ったらわたしのダーチャ(畑仕事用の山荘)を使ってください」と言われて感激した記憶がある。

キルギスには「日本人は魚が好きで東に移動したが、肉が好きで山に残ったキルギス人の兄弟である」というテーブルトークが好きな人がたくさんいる。古からの同胞である日本人が西欧をリードする産業技術を発展させていることに好感をもっている日本好きがキルギス共和国には多い。