2016年9月20日火曜日

「レミングスの夏」という本を読んで昔のことを思い出した

乱歩賞作家で竹吉優輔という人の書いた「レミングスの夏」という本を読む機会があった。この題名を眺めている内に昔のことを思い出した。わたしが最初に勤めた会社は今は大変なことになっている。会社というものが30年くらいのサイクルで浮き沈みするということは知っていたつもりだった。郷里である新潟県栃尾市(現長岡市)・見附市の繊維産業が70年代の石油ショックと日米貿易摩擦の後で激変し、その昔地方都市で栄華を極めた経営者たちの何人もが死を選んだ話を身近で聞いた。そのくらいの激変が自分が11年勤めた会社で実際に起きてみるとなんとも言えない気持ちがする。

1970年代の最後の年に大学を卒業したわたしが選んだのは電力会社だった。その頃いろいろな事情もあって早く社会人になって自立したいと思っていた。自分の生き方を探りながら大学に残る人たちもいたが、そういうリスクを取ってでもやりたいことが何なのか当時の自分にはわからなったのだと思う。実際に会社選びとなると明確なイメージがなかった。それでも石油ショックの後の世の中でエネルギーが重要なトピックになるかも知れないという思いはあったはずだ。「日本のエネルギーをリードする会社」というようなリクルートブック辺りのキャッチコピーに影響されたかも知れない。

別のブログで書いているが、学生生活の終わりと社会人生活のスタートはその頃の自分の状況に微妙な変化が生じた時期と重なっている。何やら拍子抜けした気持ちで始めた関東近郊での会社員生活が始まった。それでも3年の現場勤務が終わって東京本社に配属になると緊張感に満ちていて楽しかった。会社を選んだ頃の自分のように「エネルギーの未来」を考える同僚たちと出会ったこともありがたかった。この頃出会った人たちの数人が社内留学を考えていたこともその後の自分の生き方を変えることになった。

その頃の会社の仲間との勉強会で使った本の一冊がエイモリー・ロビンスの「Brittle Power (脆弱なパワー)」だった。1976年の「ソフト・エネルギー・パス」が世界中で読まれて名を知られた米のロビンスが1982年に発表した本で、米国のエネルギー供給構造の脆弱性を指摘するものだった。2001年9月11日の世界貿易センターへのテロ攻撃の後でそれを予見した本として再度脚光を浴びた本でもある。この本の一つの章の題名が「Forward Lemmings」だった。人間の欲望と消費行動をコントロールしないまま、増加し続けるエネルギー需要に見合うだけの供給力だけを確保しようとするエネルギ―政策とその危険性に警鐘を鳴らした本の中で、人間は破滅に向かうレミング(旅鼠)の集団に例えられていた。

原書の読書会の本のことを何故覚えているかと言えば、当時はグループの議論についていくだけの英語力がなくて口惜しかったことを忘れていないのだと思う。この勉強会に参加していた同僚たちはその後何人も会社を離れて行った。彼らの何人かは駒場で産業論の講義として「日本のエネルギ―政策」を講義したK氏の感化を受けて電力会社を選んでいた。当時この人はOECD/IEA(国際エネルギー機関)への出向から戻ったばかりで、会社の花形社員だった。その後は会社の幹部となり原子力推進についてテレビで論客を務めた後で、政界に転じた人だが2011年の原発事故の後は消息を聞かなくなった。


2016年9月12日月曜日

ミャンマー植林の旅 「ビルマの竪琴」の空想の舞台を追って

この夏の終わりにミャンマーへ旅をした。若い頃にバックパックを背負って欧州も、インド・スリランカ・ネパールもペルー・ボリビア・メキシコも旅しているが、還暦が近い歳になると一人旅は気が重い。知り合いの方が主催されているNGOの植林ツアーのことを知り、記録写真係を志願して連れて行ってもらうことにした。植林ツアーの目的地は古都バガンだった。日本から行く場合は首都ヤンゴン経由となる。ヤンゴンは暑くて湿気が多く大変だったが大きな寺院や涅槃像で有名な寺院やアウンサン将軍の記念館など見どころもたくさんある。ヤンゴンの空港に着くと現地側パートナーとしてこの旅に参加してくれた団体のメンバーたちが待っていてくれた。到着時間が遅めだったので宿にチェックインする前に、空港からの途中でレストランで夕食となった。

この席で同席したのがADさんだった。話が面白い人で旅の間ずーとお世話になって楽しかった。夕食をしながらこの国と植林ツアーについて説明を受けた後で「質問はありますか?」ということだった。「「ビルマの竪琴」という映画を古いのも、新しいのも観たことがありますが、この映画の原作になった本のことを知っていますか?」 と質問してみた。「こちらでも翻訳されている素晴らしい本です。でも書いた人はこの国に来た事がないのですよ」 という返事を聞いてびっくりした。具体例として指摘されたのがこの国の僧侶が楽器を演奏するというのは戒律違反だという点だ。物語の中では日本兵である水島上等兵は現地の僧侶に扮して斥候として活動している。その時に戒律違反の楽器を持ち歩き、さらに演奏もするということであれば目立ち過ぎて説得力を欠くことになる。

僧侶と竪琴の関係以外にもう一つ気になったのは、牛についての記述だ。文庫版の165頁に「あちらこちらに人が水牛を使って耕しています。水牛が動きだすと、白鷺が下りてきて、その背や角にとまります」という記述がある。わたしが今回の旅で牛車を引く牛たちを見かけた時に同行した人たちに「あれは水牛でしょうか?」と聞いてみると「違うよ。牛だよ。」と教えられた。帰国して調べてみるとコブ牛というものらしい。なるほど首を前に垂らしたその付け根のあたりが骨の突起のような形でこぶ状に見える。よく見かけたこのコブ牛の角はさほど大きくない。水牛ということになると角も体ももう少し大きいようだ。

市川崑監督の映画は安井昌二主演の1956年作品も、中井貴一主演の1985年作品も観たことがあるが原作を読んだことがなかった。バガンから帰国して、書店で新潮文庫版を買った。著者あとがきによるとこの作品は昭和21年から23年まで童話雑誌に子供向けの物語として連載されている。戦後間もない話だ。23年の秋に中央公論社から単行本として出版され毎日出版文化賞、25年に文部大臣賞を受賞した。文庫版の後ろの「ビルマの竪琴ができるまで」という著者の文章が面白い。ここに「一度もビルマに行ったことがない」と書かれている。終戦当時すでに40代の半ばだった著者は軍隊生活もほとんど経験していないそうだ。

旧制一高の教授として多くの学徒を戦地に送り出したことで、鎮魂の物語を書きたいと思ったことが書かれていた。著者の執筆の目的は徴兵されて異国で野仏となった人々の慰霊にあるので場所は何処でも良かったわけだ。最初は中国南方のどこかの城市に籠城する設定だったが、敵兵と味方兵が歌を通じて交流する場面を考えているうちに、スコットランド民謡やアイルランド民謡を登場させることを思いつく。このため旧英植民地だったビルマが舞台になったと説明されている。

空想物語であり、童話として出版されたはずのこの本を読んでみると、著者が行ったこともない国が舞台となっているにもかかわらず、リアルな印象がある。物語の読後感は深い。そういうわけで、この夏の終わりに自分で撮影したミャンマーの風景をしみじみと眺めている。

10頁「ここらの森は大きなチークの木です。そこには猿が跳ねているのも見えます。。。」


15頁「赤と黄の模様のあるルーンジという腰巻のようなものをすると、どう見ても生まれながらのビルマ人でした。」
 

24頁「村人たちはわれわれの歌を、まるで儀式の時のようにまじめにきいていました。」
   

43頁「まったくの竹の柱に萱の屋根です。床が高く、風遠しよくつくってあるので、そう湿気ません。」
  

47頁「椰子の実が重要な食糧であることは有名です。」


57頁「ビルマは宗教国です。男は若いころにかならず一度は僧侶になって修行します。」
 

111頁「寝姿の仏像も多く、中にはいく十メートルもある仏様が上半身をなかば起こしているのもあります。」


165頁「あちらこちらに人が水牛を使って耕しています。水牛が動きだすと、白鷺が下りてきて、その背や角にとまります」
 

171頁「人間は一度はかならず死ぬものだし、死ぬことによってこの世の煩悩を脱れて救われるのだ、人間がそこからきた本源にかえるのだ、と信じています。」
 合掌。
 

2016年9月8日木曜日

ミャンマー植林の旅 ゴミ捨て場のカラスたちとリサイクル図書館のこと

ミャンマー日本エコツーリズム(MJET)という日本のNGOがミャンマーの古都バガンで活動していて、バガンにある村々を選んで毎年1000本くらいの木を植えていると聞いたので、わたしも参加させていただいた。8月26日から9月4日まで9日間の旅だった。日本からは大学生3人を含む10人が参加した。現地のネイチャーラバーズというグループから6人が参加した。このNGOによる植林活動はすでに6年ほどの実績があるそうだ。これまでに植樹した数か所の村を回って若木の生育状況を確認するとともに、今年も新しい村で1000本の植樹を行った。子供たちは植林作業では苗運びを手伝った。村の男性たちは穴を掘ってくれ、女性たちは植えるのを手伝ってくれた。植樹だけでなく今後の水やりなど村を挙げて「自分たちの村の緑を守る」という意識と協力がなければボランティア活動としての植林活動は成り立たない。日本のNGOはこうした活動を企画実行すると同時に、日本で賛同者を集めて資金集めをしている。

これまでに植樹した林の状態の視察結果は場所ごとに様々だった。9割近くの木が育ってきれいな林が日陰を作っているところもあれば、白アリにやられてほぼ全滅のところもあれば、7割程度の木が生育しているところもある。首都のヤンゴンは一日に何度もスコールが降り、高温多湿だが、バガンは亜乾燥地帯であり8月末の滞在中には雨が降らなかった。今回植えた木はチークとタマリンドだった。これまで植樹された各村で木々の生育状況が異なるのは村人による乾期の水やり状況、水利当局による灌漑用水の配分状況、白アリなどの生息状況など様々な要因がからむそうだ。いくつか立派に生育している木の林をみていると宮沢賢治の童話「虔十公園林」を思い出した。

植林の旅では小学校をいくつか訪れた。村の共有の土地で木を植える場所として校庭の隣が選ばれることが多いからだ。MJETというNGOはここで学校の先生たちをサポートしながら環境の大切さを子供たちに実感させる目的で実験授業の試みも始めている。今後のMJETの活動として力を注いでいくことになるのはゴミの処分とプラスチックゴミなどのリサイクルだそうだ。バガンの村のゴミ捨て場の様子を見てみるとかなり深刻な状況にある。小さな村では焼却場の建設という方法は難しいので、適切な場所に穴を掘って埋めることになる。この対応が遅れている場所がゴミ捨て場と化してしまうと後は雪だるまのように大きくなっていく。もう一つの問題はキチンとしたゴミ捨て場とゴミ回収の仕組みがないと学校の隣などの村の共有地にゴミが散乱する状態になりやすいことだ。1.いくつかの村の連携をはかりしっかりした埋め立て地を作って運営していく。2.村ごとにゴミ収集のルールを作り、リサイクルを進めるなどしてゴミの量の減少をはかる。3.学校周辺などでゴミ拾いの運動を起こすなど環境美化のキャンペーンを進める。。。等々の対策が必要だと思われる。




ミリンダ図書館というプラスチックゴミのリサイクルの実例を見学する機会があった。ペットボトルを有料で回収し、それを壁の内部の建材として活用している建物だ。これは素晴らしい試みた。その昔3千ほども仏塔のあるバガンの森が消滅し、乾燥化が進んだのは仏塔を作るための煉瓦を焼くために多くの木が使われたからだそうだ。ペットボトルのリサイクルによって燃料として使われる木の消費量を減らすことは、木を生育させる植林と同様の効果を生むことになるはずだ。







ミャンマーという国で自然や街の風景というのが直接の動機で参加した植林ツアーだが、様々なことを考えさせられたのでしばらくわたしのミャンマー熱は続きそうだ。