2014年9月29日月曜日

ロンドンの「パウル・クレー展」 菊地先生の思い出

テートモダン美術館はサウスバンクというテームズ川の南岸にある。この美術館の辺りから眺める対岸の眺めが素晴らしい。2014年1月にテートモダンで開催されたパウル・クレー展で懐かしい絵に会った。「幻想喜歌劇 船乗りから 戦闘の場面」という絵だ。昔の美術の教科書では「船乗りシンドバッド」と習った記憶がある。もう一枚会いたかったのは「さわぎく」だがこれは無かった。この画家は北アフリカのモロッコ、チュニジアに写生旅行をして強く影響を受けたそうだ。アフリカ風の色彩を使って描いた作品のコーナーがあった。そういう気持ちで画集の「さわぎく」の絵を見直すとこの橙色は、去年訪れたモロッコの土塀の色に似ている。

中学生の時に菊地先生という美術の先生がいた。授業は実技の時間がほとんどだったが、ときどきスライドで世界の絵とか彫刻の名作を見せてくれた。暗くした教室でミロのヴィーナスやら、サモトラケのニケやらを観た。この時に観た絵で覚えているのがパウル・クレーの「さわぎく」だった。暖色系の丸い人の顔のような絵になぜ花の名前がついているのか不思議だった。この先生に教わっていた時に校内写生大会があった。長岡の操車場の建物から出てくる電車の絵を描いた。緑を中心にしたしみじみした味わいの絵になった。しばらくして県のジュニア展の奨励賞をもらうことになった。出品作品は返却されなかったので、モノクロの写真だけが一枚残っている。卒業してから菊地先生に年賀状を書いた。「なつかしい便り。あのおだやかな絵を思い出す」と返事をいただいた。絵の代わりに大切に保存してある。

この中学校の美術のテストというのが旺文社のばらシリーズを教科書として使い、美術理論とか美術史の知識を問うものだった。試験時間中に左手のデッサンをしなさいとかの実技問題が少しついていた。このテストのおかげで美術史と作品には詳しくなった。1986年に初めての海外経験でアメリカに住んだ時にフィラデルフィアでも、ニューヨークでも、シカゴでも、ボルチモアでも美術館めぐりは楽しかった。中学生の頃の懐かしい記憶とめぐり合う時間だった。それ以来、海外の様々なものを見て歩くことを「快感」と感じるようになった。「病気」みたいなものだ。やがて日本の会社を辞めて海外の仕事を始めた。そんな風に始まった異国での生活が今も続いている。

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