2015年5月31日日曜日

蜷川カンパニーロンドン公演2015 「ハムレット」と「海辺のカフカ」は凄かった

蜷川幸雄演出による二つの劇がロンドンのバービカン劇場で上演された。「ハムレット」と「海辺のカフカ」だ。先々月に気がついてチケットを買おうとしたら「海辺のカフカ」は売り切れだった。宮沢りえが「海辺のカフカ」のヒロインを演じたので無理もない。先週の土曜日に「ハムレット」を観に行って、幕間に友人のSさんと一緒になった。「翌週の「海辺のカフカ」も観たいが、チケットが売り切れです」という話をすると、その場でSさんがYさんに電話してくださった。チケット入手済みのYさんは仕事が入り、代わりに観に行く人を探していたらしい。残念ながらそのチケットはすでに他の方に渡った後だったが、この時のことがきっかけで、上演当日になって別のチケットが入手できた。友だちの輪というのはありがたい。劇場に早めについてカフェで軽く食べて、外の空気を吸っていると遠くの方で藤原竜也が煙草を吸っているのが見えた。

藤原竜也が主役を演じた「ハムレット」は23日土曜日のマチネを観た。「蜷川版ハムレット」は17年前の1998年に真田広之、松たか子の舞台をロンドンで観ている。この時の母親役が加賀まりこだった。この役を今回は鳳蘭が演じた。当時、ロンドンに在住だった野田秀樹が前の列に座っていたことを記憶している。藤原竜也は白石加代子との共演での1997年の「身毒丸」を観ているので、こちらも懐かしい。いずれも1999年から途上国暮らしを始めるまでロンドンに住んでいた頃の話だ。

今回のバービカン劇場の舞台では、お雛様のセットを使った劇中劇の部分が凄かった。白日夢を観ているような強烈な印象が残った。クローディアスと父王の亡霊の二役を演じた平幹二郎も凄い。オフィーリアを演じた満島ひかりは前半の部分ではほとんど印象がないが、恋人であるハムレットの変貌に心を痛め、ついには父を殺されて狂ってしまうオフィーリアの場面が連続した辺りからとても印象的だった。全体を通じて藤原竜也の存在感が光っている舞台だった。

それから奇跡が起きた。2か月近く前から、なんとか入手しようと努力しても手に入らなかった「海辺のカフカ」のチケットが上演の数時間前になって入手できた。この蜷川版「海辺のカフカ」には感動した。まず舞台装置がすごい。高松の図書館がメインの場所ということもあってか、全体を通じてガラスの書棚のようなミニ・ステージが用意され、役者の皆さんはその中から登場し、飛び出し、演技する。このたくさんあるミニ・ステージの下に車輪がついていて、人力で動かす黒子の皆さんが大変だ。図書館というよりは博物館のガラスの箱だ。日本が誇る世界のニナガワが世界のムラカミの原作から主要場面を切り取って、臨時の大英博物館の世界を作り出したような印象を受けた。高松に向かうトラックすらこのガラスの箱に入っているのでびっくりした。さらに凄いのはヒロインの若い日と現在の佐伯さんを演じた宮沢りえがやはりガラスの箱につめられて、舞台の冒頭からこの劇の空間を彷徨うことだ。これは白日夢の世界だ。ちなみに私の席はほとんど左端だが、舞台から4列目だった。ガラスの箱の中から一点を凝視する宮沢りえと目が合うような錯覚を覚えた。

蜷川版「海辺のカフカ」の舞台は、村上春樹原作の物語を忠実に追いながら、最後の部分で原作にないある決定的な結論を導いている。この原作本を読んだ時に書いた自分のノートを読み返してみた。舞台を観終わって、自分が違和感を持った理由が確認できた。村上春樹の原作はギリシャ悲劇「オイディプス王」の物語を下敷きにはしているが、それが「幻想」の物語であり、「夢」についての物語であることを強調することで、「父を殺して、その妃を妻にする」という悲劇の核心については、「そうかも知れないが、そうでないかも知れない」 不可知の物語としている。他方で、蜷川版「海辺のカフカ」はこの点について明らかな結論を出している。2013年に「オイディプス王」 の舞台の演出もしている蜷川氏としては、この悲劇の根幹部分を曖昧にすることはしたくないのだろう。つまりこの上演はムラカミ・ワールドを舞台上に再現するのが目的ではなく、蜷川幸雄による「海辺のカフカ」の解釈そのものを舞台化したものというべきだ。

この舞台のための原作の解釈はとても緻密だ。原作を読んだ時に「源氏物語」、「雨月物語」が引用され、この作品が「夢」と「想い」についての物語であることを強く感じた。視覚的な効果とキャスティングの妙により、この点が見事に表現された舞台になっている。ナチによる数百万人のユダヤ人のホロコーストについて、ヒトラーの意向を実行した高官としての責任が問われたアイヒマン裁判のエピソードも登場する。「夢の責任」の部分についてのこの引用が効果的に舞台上に再現されている。口惜しいとは思ったにしても殺したいとまでは意識しないまま生霊となった六条の御息所の罪は問われるべきなのか? ホロコーストにつながったヒトラーの呪詛を、明確な思考を持たずに実行したアイヒマンの罪は問われるべきなのか? 夢とも現実ともつかない「半世界」とも言うべき空間でナカタという「不完全な死者」が父親を殺す。その不思議な現象を引き起こしたのがカフカ少年の混沌とした憎悪だったとしたら、その罪は問われるべきなのか?

もう一つFB友だちと舞台の感想を交換していて気がついたことがある。トラックの運転手でナカタさんを高松まで連れて行った星野君が登場する場面の役割についてだ。昔、池袋パルコに唐十郎の芝居を観に行ったときの猥雑さとエネルギーとエログロさを混ぜ込んだ雰囲気を思い出した。状況劇場の舞台を新宿花園神社のテントで観た時には感じなかったが、パルコ劇場では感じたような周囲の世界との違和感だ。今回の蜷川版「海辺のカフカ」で宮沢りえを起用し、芸術の香り高いバービカン劇場で突然唐十郎風の場面が出てきた理由について考えてみた。これはおそらくヒロインの宮沢りえとカフカ少年の演じた幻想的な夜の場面が「きれい」すぎることと関係していそうだ。「超現実の幻想美の世界」と「猥雑でエネルギッシュな世界」をほぼ前後して登場させることで、まるで3Dメガネをかけた観客の頭のなかで映像が立体化されるような不思議な効果を生んでいる。
 






2015年5月24日日曜日

22年ぶりにキューガーデンズを訪れた

4月の末に高校同窓のOさんのご夫妻が英国を訪れた。その訪問の最後にわが家を訪問していただいたので、楽しい時間をすごした。奥さんは子供の頃にロンドンに住んでいたので、何度も来ているが、ご主人は初めてだそうだ。近所のSam’sというブラッセリーで、地元チズイックの誇るエール「ロンドンプライド」で乾杯した。パドロン・ペッパー(しし唐風)とミニチョリソが前菜だ。メインのスパイスの効いたチキンも、ポークも、パスタも美味しかった。わが家に移動して、お土産にいただいた新潟の銘酒「〆張鶴」の純米吟醸も空けた。

ご夫妻がレンタカーで英国をあちこち回った話から、好きな本の話になった。Oさんが筋金入りの村上春樹ファンであることが判明した。わたしも20世紀の終わり頃まで熱心なファンだったので村上春樹はかなり読んでいる。最近読んだのは「海辺のカフカ」だ。これは蜷川カンパニーの「海辺のカフカ」が5月にロンドンで上演される話を聞いたのがきっかけだった。この本はずいぶん前に、あらすじだけ読んで挫折したままになっていた。ギリシャ神話のオイディプス王の物語の父王を殺して、母を自分の妃にするという辺りがストーリーと関係しているという紹介文を読んだだけで、気が滅入りそうで敬遠した。最近になってFB友だちの栃尾のTさんもこの本についてフェースブックに書いていた。イタリアに嫁がれたお嬢さんのおススメで読まれたそうだ。それやこれやでわたしも読んでみた。面白かったのでブログに感想を書いた。

酒を飲むほどに、ご夫妻の学生時代の思い出話やら、W大の演劇部出身で女優をされている奥さんの話やらが飛び出してきて、盛り上がった。同じくW大出身の角田光代さんの話になった。原田知世主演でドラマ化され、宮沢りえ主演で映画化された「紙の月」や、いくつかの映画の原作者としてこの小説家の名前は知っていたが、本を読んだことがない。奥さんの友だち経由でご縁があるそうだ。さっそくピカデリーの日本書店に出かけて、文庫本を3冊買ってきた。積読はわたしの趣味でもある。

昔ロンドンに住んでいた奥さんが懐かしい場所ということで、王立植物園であるキューガーデンズにもご一緒した。モクレンやヒメリンゴやヤマザクラが咲いている植物園を歩きまわった。とにかく広い。ところどころに珍しい植物があり、丁寧な説明がついているのが面白い。セイヨウハナズオウという赤紫の花をつけた木が気になった。説明を読むと「ユダの木とも呼ばれ、聖書に出てくるイスカリオテのユダが首を吊った木と言われている」とある。紫色のちょっと不思議な感じの花も咲いていた。「蛇の頭(snake-head)」という名前のユリ科の植物だった。まだまだいろいろありそうだ。また来たくなった。この植物園はわたしが住んでいるチズイックからは車で15分だが、犬を連れていけないので長い間行ったことがなかった。いつもここを素通りして、リッチモンド公園を散歩している。1993年の春にロンドンに住み始めた頃につれあいと一緒に行って以来の22年ぶりの訪問だった。






2015年5月21日木曜日

藤田嗣治の婦人像と長岡現代美術館の記憶

1993年にロンドンに赴任して2年ほど経った時にケンジントンのチャーチ・ストリートの画廊に藤田嗣治のリトグラフで肩から上の婦人像が飾ってあるのを見つけた。週末になると散歩のついでにそのプリントを眺めに行った。3か月くらい通った記憶がある。Foujita 1931というサインが入っている。その年が明けた頃にロンドン生活の記念として買うことにした。アゼルバイジャンのプロジェクトの調印がうまくいってもらったボーナスの記念でもある。それから中央アジアやバルカンの国々に赴任した時も、このプリントはいつも一緒に旅をしてきた。

ロンドンの画廊で見つけた藤田嗣治の作品にこだわったのは、この画家の「私の夢」という絵に思い入れがあったからだ。輝くように白い、透き通るように美しい人が横たわっている絵だ。背景は黒で、眠るその人のまわりをカラフルな猫たちが取り囲んでいる。この絵は郷里である長岡市に現代美術館があった頃の所蔵作品だった。この美術館には佐伯祐三の「広告塔」などいくつもの傑作が並んでいた。長岡の奇跡だった。

この美術館のベースになっていた大光コレクションのオーナーの銀行が70年代の終わりに経営破綻し、コレクションは各地に分散した。残った作品が1993年に信濃川のほとりにオープンした新潟県立近代美術館(長岡市)に引き継がれた。この絵が観たくて日本に帰った時に数度訪ねているが、まだ再会を果たしていない。この美術館では代わりに様々な内外の画家の名作展を観ることができる。都会の大美術館と違って収蔵作品数が限られている地方の美術館は、お互いの所蔵品を交換し合っているらしい。賢いアイデアだが、目当ての作品があちこちの巡回展で留守のことが多い。

藤田嗣治の映画「Foujita」が日仏共同制作されていて、今年公開の予定だそうだ。主演のオダギリ・ジョーは最近TVで穏やかな役が多いが、北野武主演の「血と骨」では凄みのある役を演じていた。楽しみにしている。

旧長岡現代美術館の建物{現在は長岡商工会議所)




現在の新潟県立近代美術館(長岡市)



2015年5月19日火曜日

ロンドンの野鳥観察 かささぎとかけす

今年になって近所のチズイックハウス庭園やテムズ川べりの野鳥を観察するようになり、写真を撮るのが楽しくなってきた。二匹の犬を連れて散歩する時にまずはカメラを肩にかけて行く。いつシャッターチャンスに出くわすかわからないからだ。目の前の草原や木の枝に色鮮やかな鳥が止まっていたら、カメラを向けたくなる。しばらく前から黒と青と白の組み合わせと長い尾羽がお洒落な鳥が気になっていた。近所の書店で買ったコリンズの英国鳥類ガイドという本をめくっていて、この鳥の写真を見つけた。かささぎだった。英語ではマグパイだ。

ロッシーニの「泥棒かささぎ」という曲が村上春樹の「ねじまき鳥クロニクル」第一部の冒頭に出てくる。主人公がスパゲティーを茹でながらFM放送に合わせて口笛を吹いている場面だ。1994年に出版されたこの本は今でも本棚にある。1991年から外国で暮らしていたのにハードカバー3冊のこの本を取り寄せていたのだから、村上春樹の小説はこだわって読んでいる。それでもかささぎがどんな鳥か?「泥棒かささぎ」はどんな曲なのかなどを調べずに読んでいたことになる。この人が1979年に「風の歌を聴け」でデビューしてから、1992年の「国境の南、太陽に西」あたりまでは熱心なファンだった。ロンドンでの仕事で手いっぱいで、本を読んで細部を調べたりする余裕がなかったのだと思う。

もう一羽きれいな鳥がいた。写真を数枚撮った。家に帰ってから英国鳥類ガイドで調べると「かけす」だった。英語では「ジェイ」だ。「羊をめぐる冒険」に出てくるバーの名前でもある。今日は村上春樹に縁がある日だった。かけすと聞いて思い出す曲が一つある。「泣けた泣けた こらえきれずに泣けたっけ あの娘と別れたさみしさに 山のかけすも泣いていた。。。」。春日八郎が歌った「別れの一本杉」だ。子供の頃に懐メロ番組でよく聴いたので覚えている。

FBでかけすの写真を投稿したら、カリフォルニアに一家で住んでいたA君が真っ青なかけすのことを教えてくれた。日本にいるつれあいとも電話でこの話題になった。「ブルージェイでしょ。ジェイジェイ鳴くよ。」と言う。それでカナダのトロントの本拠地を置く米メジャーリーグの球団の名前も「ブルージェイズ」であることを思い出した。1987年の夏に一度試合を観ているので懐かしい。調べてみるとカリフォルニアにいる真っ青のはアメリカカケスでとトロントのはアオカケスだ。かけすにもいろいろな種類がある。

今度は黒っぽい小さめの鳥が飛んできて止まった。英国鳥類ガイドに掲載された鳥の中では、「くろうたどり」が一番似ている。濃い茶褐色なのでメス鳥と思われる。英語で「ブラックバード」。ビートルズにそういう題名の歌があるようだ。チズイックはテムズ川の向こう側のバーンズ自然保護区に近いので様々な鳥が飛んでくる。カメラをバッグから取り出したりしている内に、飛んで行ってしまうのでカメラを構えておくことと、さっさと望遠レンズを合わせることが撮影の決め手となる。

この頃のデジタルカメラの性能は凄い。ぶれないし、照度の調整も自動でできる。車のAT車と一緒だ。撮影の道具なので簡単なほどよい。トリミング機能の使い方を覚えたので、とりあえずカメラを向けて速射した写真の構図を調整することもできるようになった。デジタルカメラでシャッターを押していると30分も経てば100枚くらい撮影出来てしまう。その中で気に入るのは4-5枚だけになることが多い。残りは消去する。昼間撮った写真を、夜が更けてから整理する。その日の内に余計なものを消さないとパソコンのメモリースペースがいっぱいになってしまう。ワインを片手の楽しい作業だ。ロンドンの公園の野鳥観察と撮影は楽しい。




2015年5月11日月曜日

ロンドンの五月の日曜日と水鳥の親子 母の日に

このところ公園の水鳥の母子の姿が目立っている。先月からのマガモとエジプト雁とオオバンに続いて、チズイック・ハウスの池でカナダ雁の親子を見た。カナダ雁の母子を見るのは初めてだった。公園の小川の橋のたもとから、オオバンのヒナの撮影をしていると、英国婦人が話しかけてきた。すぐには応えず、相手を見つめた。何の用事だろうか? 連れている2匹の犬が何かしたかなと身構える癖がついている。わが家の犬は見た目は可愛いが途上国育ちで、ロンドンの犬の社交界で他の犬たちと仲良くする訓練ができていない。内弁慶の弟犬は、慎重に相手の強さを推し量った後で、相手が自分より弱そうだと攻撃する悪い癖がある。相手の犬を噛んでトラブルにならないように注意する必要がある。それでも植物や水鳥の写真撮影に夢中になると、犬のことを忘れてしまうこともある。

こちらの返答に微妙な間があったので、このご婦人が「英語を話しますか」と続けてきた。話を始めてみると、少しこわそうな見た目と違って、とても良い人だった。自分のスマホの中の傑作白鳥写真を見せてあげると頑張るのが可笑しかった。「あちらにはゴズリンがいるのよ。かわいいよ」と教えてくれた。Ugly duckling と言えば「みにくいアヒルの子」で、duckling が duck (鴨) のヒナの呼び方であることは知っていた。このご婦人が「ゴズリン、ゴズリン」と連呼するので、gosling が goose (鵞鳥、雁)の一種であるカナダ雁のヒナであることに気がついた。カナダ雁の親が4匹のヒナを引き連れている写真がとても気に入ったので、このご婦人に感謝している。

ご婦人とのやり取りは日曜日のお昼過ぎに、わたしが住んでいるチズイックのファーマーズ・マーケットに買い物に行く途中の出来事だった。公園からさほど遠くないところに日曜日の朝10時から午後2時の間だけ、地元の農家の人たちがやっている青空市場がある。公園でカナダ雁の親子の撮影に夢中になっていたので、あやうく買い物し損なうところだった。ブルーベリーのジャムとパンと粒丸ごとガーリックのピクルスとフェタ・チーズを買った。どれもとても美味しい。

家に帰ってFBを読んでいると、たくさんの母の日にちなんだ投稿を見つけた。5月10日が日本では母の日であることに気が付いた。英国の母の日はイースターの3週間前の日曜日で3月だそうだが、日本式のほうがぴったりくる。すでに夕方近くなっていたが、母の日にあたり、花の写真を撮ろうと思い立ち、リッチモンド公園まで出かけることにした。この公園の中にイザベラ・プランテーションという奥座敷のような一画があり、つつじとシャクナゲの隠れた名所になっている。いくつか池もあってオシドリやマガモなど水鳥の生息地でもある。空が晴れていたので十分な光があり、写真撮影にはぴったりだった。昼時から夕方まで写真撮影を続ける母の日となった。

 









2015年5月10日日曜日

加藤節雄写真クラブの5月の例会に参加した

新潟県人会の飯塚先輩に誘われて、3月からロンドンの加藤節雄写真クラブに出入りさせていただいている。3月の初回に見学したテーマは「物のクロース・アップ」。4月はショーディッチに出かけて「壁の落書きを使って面白い写真を撮る」というテーマだった。このクラブのメンバーは、写真が好きで腕に覚えのある方が多くて面白い。各月の課題に対して5-8枚くらいの写真を提出し、それが他のメンバーよって投票される。そこで理由を説明しなければならないので勉強になる。各人のもち寄り分から其々のベストを選び、その中から加藤先生がその月のベスト作品と、佳作3枚を選び、その理由を説明される。とても勉強になる。

毎月第2土曜日は加藤節雄社写真クラブの月例会の日だ。今日の合評会は先月の撮影会の写真なので、楽しみにしていた。撮影会の日はデジタルカメラで押すだけの安易さもあり、良い素材は数枚撮って良いものを選びたいので300枚ほどシャッターを押した。この内でぶれたものや、構図が失敗したものを除くと70枚くらい残った。さらに「ただ落書きを撮るのではなく」という条件に見合っていて、写真としても面白いものという条件だと8枚しか残らなかった。

この8枚を合評会に提出した。加藤先生曰く、「どれも楽しい写真だね。ただ無理に人物を入れようとしてる感じがある。入れるなら入れるでモデルになってもらって、より効果的な構図にするなり工夫があってもいいね」。なるほど。通行人の人が通りかかる偶然を待ちながらシャッターを切りまくるのではなく、もっと能動的に考えれば良かったのだと反省した。それでもハートマークの写真を今月の佳作に選んでいただいた。「シンプルだけど、色と構図と両方ともバランスがいい」という講評をいただいた。

提出した写真から4枚




 


4月の撮影会での写真クラブの皆さん





2015年5月6日水曜日

AIIBについてみんなでもっと議論すべきだ

昨年から様々な報道がなされていたにも関わらず、ほとんど関心を持たれることのなかった中国主導の新国際機関AIIBだが、今年の3月に、英国がG7メンバーとしては早々に米国との協調路線を放棄して参加を表明し、主要な欧州ドナー国が追随してからは、いっせいにマスコミで報道されるようになった。日本のメディアでも中国寄りのコメント、模様眺めの政府寄りのコメントと真っ向から別れた議論がにぎやかだ。このテーマについて「新たな中国の時代の到来か」という視点から議論する論評がほとんどだが、長く「特別な関係」にあった英米の関係が変わりつつあることがAIIBをめぐる議論の趨勢に影響を与えたことも注目されるべきだろう。ロンドン在住のジャーナリスト木村太郎氏が、そういう米英関係の変化は中国のAIIB設立提案以前から始まっていたことを指摘している。

428日の日米首脳会談の後の声明で、オバマ大統領は 「boondoggle」 という言葉を使ってAIIBについて米国が慎重な姿勢をとっている理由を説明している。これは「無駄な仕事、無用の公共事業」の意味だ。公の資金を扱う組織のガバナンスと、その意思決定の透明性の確保についてのきちんとしたルールなしには、公金が無駄使いされるリスクは高い。明快な説明だ。この組織が適切に運営されれば地域のインフラ需要を満たすためにプラスだとポジティブな評価もしている。看板に掲げたうたい文句とは別に「一部の国の指導者や受注先を潤すだけで、現地の人々に恩恵が及ばない開発援助」のリスクが存在し、きちんと取り組む必要があるということは、これまでもNGOなどが厳しく指摘してきたODAのあり方に関わる重要な論点だ。

わたしはAIIBへの日本の参加問題については「焦ることなく様子を見てから決めても良いのでは」と考えているが、それには理由がある。数年前にロシア主導で「ユーラシア開発銀行」という新国際機関が同じくユーラシア地域のインフラ開発ニーズに応え、既存の諸機関を補完するものとして設立された時にG7諸国は結束して模様眺めを行った記憶が新しいことだ。税金の使い途の問題でもあるので、慎重論を唱えることには意味がある。フェースブック上のミニ勉強会でも、このテーマを仲間たちと議論してきた。わたしが指摘したいのは、以下の点だ。

  • 大きく4つの立場がある。「心情的に中国支持でAIIB賛成」。「心情的に米国支持でAIIB反対」。「インフラ契約受注を期待してAIIB賛成」。「適切な開発援助の視点から条件付きでAIIB反対」。誰がどういう立場から発言しているかを冷静に眺める必要がある。
  • 背景として3つの大きな流れがある。第1に無視しえない大国としての中国の台頭。第2に国際開発に必要な追加的な資金をどう手当てしていくかの議論。第3に第二次大戦後に東西冷戦下でつくられた開発援助の現行スキームが、戦後70年を経て見直しの時期を迎えていること。その方向性の議論。この3点について大枠の議論がなされるべきで、AIIBへの参加問題だけが切り離されるべきではない。
  • 中国が「売り言葉に買い言葉」の気味があるにしても「西側ルールが正しいとは限らない」と発言してきた点について、詳細な検証が必要だ。「西側ルール」と「世界標準ルール」を混同しての議論を避ける必要がある。「汚職を防ぐための国際競争入札ルール」、「環境に配慮するためのルール」、「市民社会を含めた参加と透明な意思決定のルール」は東西に関わらずミニマムルールであるべきだ。
  • 「AIIBの必要性は認めるが、その運営方法に懸念を持つ」という立場を日本が取る場合には、AIIBをめぐる議論で浮上してきた論点を踏まえながら、それを今後のADBの改革に反映させる方向での議論を日本がリードするという覚悟を持つべきだ。

最近まで働いていた組織で、現役で活躍している知人と会った時に面白い話を聞いた。一つはわたしの所属した組織のOBでオペレーション審査や調達の専門家たちが、この設立準備中の組織に乞われて様々なアドバイスを行っていること。もう一つは欧州勢で先陣を切ってこの新組織の応援に回った某国(!)が自国の開発機関の専門家たちに参加を呼び掛けているという噂だ。この知人とは長い付き合いだが、数年前にパスポートをこの国に切り替えているので、この人も勧奨の対象になったらしい。同種の組織がロシア主導でカザクスタンの首都アルマーティに設立された時には、わたしの駐在していた国の現地事務所も含めて若手スタッフに声がかかったことを記憶している。それに比べると今度の新組織の準備の仕方には格段に力が入っていることになる。だとすれば良いニュースだ。

金融街シティで英国新潟県人会が開かれた

先週の木曜日に英国新潟県人会の集まりがあった。地下鉄バンク駅のすぐ近くにあるロイヤル・エクスチェンジ(旧王立取引所)が会場で、28名の新潟県人が参加した。登録している在英のメンバーは86人だそうである。英国には各県の集まりがあり、年に一度、各県対抗のゴルフコンペなども開かれるが、今や新潟勢は一大勢力だ。今回の会場は素晴らしかった。16世紀の後半にトマス・グレシャムによって設立されたロイヤル・エクスチェンジの建物はロンドンの大火で焼失するなどしたが、その度に再建されている。現在の建物は1840年代に造られている。19世紀の大英帝国の威風を伝える代表的な建物の一つだが、その内部のスペースはおしゃれなカフェと高級ショッピング・モールとして活用されている。

参加した県人会のメンバーが大テーブルといくつかの小テーブルに別れて席に着いた。わたしが会場に着いた時には満席に近かったので、空いていた6人がけの小テーブルに入れていただいた。順番に自己紹介をした。わたしと同じく栃尾生まれの飯塚会長、蔵王橋に近い江陽ご出身のご婦人がお二人の内お一人は同じ長岡高校の同窓生の藤村さん、初対面の笹川さんも中学は長岡とのことだった。話をしてみるとなんと同じ附属長岡中学の大先輩だった。たまたま座った6人のテーブルの内の5人が長岡関係者だったことになる。長岡の大花火大会やら、その昔に長岡現代美術館があった話などで盛り上がった。

母校である県立長岡高校の校歌に「鋸山はけざやかに東の空に聳えずや」と歌われる鋸山はJR長岡駅から東の方向にある。峠を越えて行くと栃尾の盆地が広がっている。栃尾は昔は独立した市だったが、今は合併して長岡市の一部となった。長岡から峠を越えて栃尾に入ったばかりのところに飯塚会長の故郷がある。わたしはもっと平野部の刈谷田川のほとりで生まれ、見附市で育った。一緒にランチをしていただいた時に、飯塚会長は鋸山に近い栃尾の峠から、わたしは刈谷田川を望む観音山からいつも遠くを眺めていたことが共通していることに気がついた。長岡の丘陵と越後平野が広がっている風景だ。もっと広い世界があるはずだと夢見ていた二人が、今は故郷を遠く離れたロンドンで生きている。世界は広いが世間は狭い。

ロンドンの火のように燃えるつつじの花 上田のつつじの乙女 越後の佐渡情話

ロンドンの西にあるリッチモンド公園は、わたしが住んでいるチズイックから近い。この公園の中にイザベラ・プランテーションというつつじと石楠花の名所がある。小川も池もあり、わらびも水芭蕉も生えている。素晴らしい景観が楽しめる。リッチモンド公園が野生の鹿が住む広大な公園として知られているが、その中につつじが咲き乱れる隠れ場所があることは旅行ガイドにも載っていない。わたしも最近になって友人から教えてもらった。この話をロンドンの新潟県人会の集まりでしたら、在英20年以上の人たちも知らないのでびっくりした。5月の第1月曜日は英国のバンク・ホリディで祝日だ。雲間から太陽が出てきたので、午後になってつつじを観に行った。公園のゲートを通過して最初のロータリーを右折した途端に車が数珠つなぎだった。公園の入口からイザベラ・プランテーションまでのろのろ運転で一時間ほどかかったが、それでも見たいほどのつつじの花だ。

この公園には色とりどりのつつじが咲いているが、中でも真っ赤なつつじの花を観て連想するものがあった。長野県上田市に伝わる「つつじの乙女」という民話だ。この話をもとにして松谷みよ子さんが1974年に「つつじのむすめ」という絵本を出版している。原爆の絵で知られる丸木俊さんが絵を描いた。乙女の真摯な恋心ということで絵本になったのだろうが、民話を読んでみると凄い話だ。いくつもの山を隔てて住んでいる若者と娘が出会い、恋をする。若者に会いたい気持ちを抑えられない娘が夜になるといくつもの山々を越えてやってくる。娘のお土産は温かいつきたての餅だった。ある時不審に思った若者が、その餅について問い質すと、娘は手に握ったもち米が体の熱で餅になっただけだと答える。それは恋の力だけだろうか?それとも娘は何かの化身なのか?気味悪くなった若者は、とうとう娘を谷底に突き落とす。それからこの谷には真っ赤なつつじが咲くようになったという伝説だ。

いくつもの山々を越えて夜ごとに訪れる娘の異常な力、つきたての柔らかい餅、真っ赤なつつじ。この3つから連想されるのが清純な恋どころではなく、熱烈な関係であることは明らかだろう。やがて怖れをなし、娘が疎ましくなる男心というのもありそうな話だ。長野県では上田市以外にも似たような民話が存在しているそうだ。共同体としてのムラ社会でこのような民話が語り継がれる理由は明らかな気がする。若者にとっては恋の火遊びがトラブルに発展することの戒めであり、娘たちにとっては男というものが移り気で無責任で、逃げ出すのが得意な弱虫であることの戒めだ。「だから一時の熱情に惑わされず、親の決めた伝統的な結びつきが良い」という説話なのかしらと思う。

恋をした娘の異常な力と言えば、新潟県にも「佐渡情話」がある。佐渡ヶ島の娘と海を隔てた柏崎の男の物語だ。美空ひばりが歌った「ひばりの佐渡情話」はオリジナルの悲恋物語をせつせつと歌うものだ。この民話を題材にして人気浪曲師の鈴木米若は浪曲を作った。元々の物語が不倫も裏切りもありで哀切すぎるので、浪曲では話を変えてある。柏崎の若者が船の難破で、佐渡ヶ島の娘に出会い、困難を乗り越えてハッピーエンドを迎える。見附の父が、元気な頃はこの浪曲を台詞入りで歌っていた。父の若い頃が懐かしいので、鈴木米若のCDを持っている。