2014年9月23日火曜日

茨木のり子 「生はいとしき蜃気楼」

茨木のり子という詩人は「さくら」という詩を書いた。「死こそ常態 生はいとしき蜃気楼と」という結びが好きだ。凄い詩だと思う。普通は見えないものが見えたり、感じないものを感じたりする人たちはいる。この人の「わたしが一番きれいだったとき」という詩はよく知られている。「だから長生きすることにした。。。」という終わりの一行がある。自分が一番きれいで、何もかも手に入れてもおかしくなかったはずの時代は仕事に追われ、自信が無くて、悩むことばかりで、他には何もない時代だった。だからこそ長生きして少しずつ自分のために生きていこうとこの人は書いた。50歳を過ぎてから韓国語を勉強して、その国を旅し、文献を読み、自分の世界を広げた人だ。そんな風に生きてみたいものだ。

「さくら」

ことしも生きて
さくらを見ています
ひとは生涯に
何回ぐらいさくらをみるのかしら
ものごころつくのが十歳ぐらいなら
どんなに多くても七十回ぐらい
三十回 四十回のひともざら
なんという少なさだろう
もっともっと多く見るような気がするのは
祖先の視覚も
まぎれこみ重なりあい霞だつせいでしょう
あでやかとも妖しとも不気味とも
捉えかねる花のいろ
さくらふぶきの下を ふららと歩けば
一瞬
名僧のごとくにわかるのです
死こそ常態
生はいとしき蜃気楼と

(「茨木のり子詩集 谷川俊太郎選」 岩波文庫)

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