2014年9月24日水曜日

桑の実はいつから赤くなったのか?

桑の実は中央アジアの初夏の風物詩だ。5年半ほど暮らしたタシケントや、何度も訪れたサマルカンドで赤黒い桑の実も白い桑の実も食べた。ロシア語でトゥトブニック、英語ではマルベリー。中央アジアのバザールではザクロの実のジュースと並んで桑の実のジュースもよく売っている。少しえぐい感じがするが美味しい。

「山の畑の桑の実を小籠に摘んだはまぼろしか」(三木露風作詞、山田耕筰作曲)という歌は懐かしい。桑の木は日本でもあちこちに分布しているが、日本では桑の実は黒っぽい赤紫だけだと思っている人が多い。植物図鑑を検索すると桑には赤と、黒と、白の種類がある。その昔中央アジアからヨーロッパに伝わった桑の実は白い種類だったので桑のラテン語名には白を意味する「アルバ」という言葉が入っている。

桑の実がどうして血のような色になったかについてはギリシャ神話に言い伝えがある。バビロニアにピュラモスという若者とティスベという娘がいた。恋に落ちた二人の家はことごとに反目しあう間柄だった。駆け落ちを決めた二人は白い桑の実をつけた木の下で落ち合う約束をする。行き違いから二人ともがその木の下で自刃してしまう。それから白い桑の実は血の色になった。シェークスピアはこの話を翻案して「ロミオとジュリエット」を書いたそうだ。

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