2015年6月23日火曜日

ロンドンで東洋古美術に魅せられて

ロンドンの在留邦人の間にはいくつかの集まりがある。珍しいところで食事会をしたり、講師をお招きして話を聞くのも面白い。その会のメンバーが持ち回りで自分の職場のことや、ロンドンに来て以来の経験などを話すこともあるし、会員の知人が招かれることもある。いくつかの会合に出ているうちに清水さんにお会いした。バタシー公園で開かれた古美術・アンティークフェアがきっかけで、清水さんが、創立以来70年の歴史を持つ英国アンティーク・ディーラーズ協会(BADA)の唯一の日本人会員だということを知った。ギャラリーやアンティークショップの名店が立ち並ぶケンジントン・チャーチ・ストリートでアジアと日本の古美術のお店を経営されているので、お店の古美術品を見せていただいた。品揃えが素晴らしい。ため息の連続だった。お茶を飲みながらお話を伺った。

大学で英米文学を専攻した清水さんは、教員免許を取得し、英語教師として生きていく前に、英語力をブラッシュ・アップしたいと思った。英国に一年間留学することにした。通い始めてみると、どうも学校選びを間違えたらしいことに気がついた。日本の大学で英語の勉強をした清水さんにとっては、語学中心の授業は物足りなかった。せっかくのロンドン滞在を無駄にすまいと思ったのでせっせと好きな博物館に通うことにした。そんな時にロンドン大学付属のパーシブル卿財団の中国陶器のコレクションを観た。とても強く魅き付けられるのを感じた。
パーシブル卿財団のコレクションに毎日通い始めた。カタログを買って、その説明を読みながら、実物を見続けた。自分が目の前で見ているものについて、その道の専門家はどういう分析をし、どういう表現をしているか、それが自分の感じ方とどう違うのか?毎日通って徹底的に考えをめぐらせた。やがてこの財団のメドレー女史とも顔なじみになり、財団の図書館も使わせてもらえるようになった。

清水さんは九州の生まれだ。子供の頃に夏休みを伯母さんの家で過ごすのが楽しみだった。伯母さんの家は大分県にある禅寺だ。茶碗や花器などの陶器の他に、様々な美術品や骨とう品が置いてあった。伯父が品物を購入するお店の紹介でロンドンでの滞在先も決めた。ロンドンでギャラリーを経営されていた方に身元保証人をお願いしたので、そのギャラリーにもよく通い、サザビーズやクリスティーズなどのオークションにも連れて行ってもらうことができた。

ロンドンでの留学を終えて、1977年に日本に戻った。表参道に小さなお店を開いた。古美術好きの伯父さんのコレクションの売買を委託され、古美術品の売り買いをした。1-2割程度の利益が見込まれる商売だった。ロンドン仕込みの知識を駆使して古美術ショップを経営するのは面白かったが、やがて限界を感じた。東京のオークションは日本の古美術商たちが協力し合っていて、お互いの既得権を守る世界のように感じられた。新規参入するのは難しかった。徒弟制度の中で長い間修行をするのが日本の古美術業界のやり方だった。「若い女の子」がセンスとロンドン仕込みのノウハウだけでやっていける世界ではなかった。1979年に店を処分して、再び渡英した。自分の力を試せるビジネス環境を探そうと思った。本格的にロンドンで古美術の商いの経験を積むことも必要だと感じた。


ロンドンで部屋を借りての再出発だった。そこからは幸運の女神が味方してくれた。日本では80年代に向かってバブル景気が膨らんで行った時期だ。ロンドンの競売で仕入れた中国の古美術品を、「良い品」を探している日本の古美術商に転売すると、表参道で細々とお店をやっていた頃に比べると想像もしなかった規模の利益が上がるようになった。品物の価格は需要と供給のバランスで決まるので、バブル期の企業や個人向けの商売は順調だった。このバブルは1991年には終焉するが、それまでに清水さんは、英国で古美術商として生きていくための経験と資本を十分に蓄積することができた。

ロンドンでのビジネスが軌道に乗った頃に、英国人のご主人と知り合った。同じ業界の人だが、ビジネスモデルは違う。清水さんはお店を構えて、ロンドン、パリ、ニューヨーク、東京のオークションで品物を仕入れ、各国の古美術商に売る「古美術卸業」一筋だ。ご主人は密教美術の専門家である。お店を構えずに、自由に古美術の産地である中国、チベット、ネパール、香港などを旅して、仕入れたものを長年の付き合いのある販売ルートに乗せるのが仕事だ。ご夫婦の間には子供が3人いて、今では清水さんのお店を手伝ってくれている。

ケンジントン・チャーチ・ストリートは、清水さんが初めてロンドンに来た時からの憧れの地だった。英国古美術商として成功し、「銀座通り」であるチャーチ・ストリートにお店を構えるのが夢になった。その夢を実現するために20年頑張った。この店は清水さんの古美術商としてのプライドを象徴するものだ。清水さんのご一家はお店の階上に住んでいる。これはセキュリティの点でも賢い方法だ。ケンジントン地域はウイリアム王子ご一家の住むケンジントン宮殿とケンジントン庭園に近い閑静な住宅地だが、教会のあるチャーチ・ストリートは昔から芸術家が住んだ通りだ。清水さんのお隣は精神分析で名高いフロイト博士の孫である画家ルシアン・フロイトのアトリエだった。

英国で古美術商として成功した清水さんの次の目標は、活動範囲を欧州大陸に広げることだ。清水さんは、ポーランドと日本の友好に古美術の面から貢献することに興味を持っている。ポーランドの古都クラクフに映画監督アンジェイ・ワイダが設立した日本美術技術博物館がある。その建物は建築家磯崎新が設計した。クラクフは第二次世界大戦の戦火を逃れた古都で美しい街並みが人気の観光地だ。ワイダ監督が1987年に稲盛財団の「京都賞」を受賞した時に、その賞金と、賛同する人々の募金と、両国政府の支援により計画が始まり、1994年11月にオープンした博物館だ。クラクフ国立博物館が所蔵したまま埋もれていた浮世絵などを中心とする日本コレクションを買い取り、公開している他に、日本とポーランドの交流を深めるための様々な催しが行なわれるスペースになっている。浮世絵の北斎漫画にちなんでか、この博物館は「マンガ博物館」という愛称でも呼ばれている。


清水さんは2014年1月にこのクラクフの博物館で、ポーランドで初めての「屏風展」を開催した。それ以来、支援を続けている。まだまだ夢を追いかける清水さんは元気で爽やかな人だ。






清水さんのお店「J.A.N. Fine Arts」のコレクションの一部は下記のブログでご覧ください。

http://kariyadagawa-london.blogspot.co.uk/2015/05/blog-post_25.html




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