2017年1月1日日曜日

誰か故郷を想わざる

母校である新潟県立長岡高校の校歌に「鋸山はけざやかに東の空に聳えずや」とも、「峨峨たる険峰鋸はその東面に天を指し」とも歌われる鋸山はJR長岡駅から東の方向にある。峠を越えて行くと栃尾の盆地が広がっている。栃尾は昔は独立した市だったが、今は合併して長岡市の一部となっている。わたしが生まれた土地だ。ロンドンに住んでいる同郷の先輩と金融街シティのカフェでランチをした。長岡から峠を越えて栃尾に入ったばかりのところに先輩の故郷がある。それぞれの思い出を語り合って盛り上がった。

先輩の話の中に、優等生だった同級生の女子が登場した。上級生が体育館を占有して、小さい子供たちが使えなくて困っていることを、ある時皆で話し合ったそうだ。話がうやむやになりかけた時に、その女子が立ち上がった。「自分たちが小さかった時に体育館が使えなくて悲しかったことを思い出そう。同じことを下級生にしたら恥ずかしいよ」と皆を一喝した。先輩の心の中に鮮烈な記憶として残ったそうだ。

歳月は過ぎ、先輩は大学を卒業して東京で就職した。その女子も東京の大きな会社で働くようになった。ある年に同窓会があった。「将来は皆どうしているだろうなあ」という話題になって、先輩は子供の頃からの海外雄飛の夢を語った。その女子は「大きな夢だなあ。無理しないで」とあまり真剣に受け止めてくれなかったらしい。先輩はそのやり取りを忘れなかった。「いつか必ず自分の夢を実現しよう」という気持ちを持続できたのはそのせいらしい。

それからたくさんの時が流れた。同級生のほとんどに孫がいるようになった頃に、山深い郷里の温泉で同窓会が開かれることになった。地元にUターンしたその女子は、今も元気で頑張っている。その女子から「仕事が忙しくて参加できずに残念です」というファックスが会場に届いた。その中に先輩のことが出てきた。「昔からの夢を諦めないで、よく頑張ったね」と書いてあった。先輩は鋸山に近い栃尾の峠から、わたしは刈谷田川を望む観音山から長岡の丘陵や越後平野を眺めていたはずだ。もっと広い世界があるはずだと夢見ていた二人が、故郷を遠く離れたロンドンで出会った。師走の金融街の喧噪の中でランチをしながらしみじみとした気持ちになった。

この話をつれあいにすると「タシケントの話みたいだね」と言う。1999年に初めて夫婦でウズベキスタンに赴任して間もない頃に政府側から歓迎会をしてもらう機会があった。夕食の前のドリンクで主催者である高官とつれあいの会話が盛り上がっていた。偶然にも二人ともカリフォルニアの同じ州立大学で勉強していたのには驚いた。中央アジアやコーカサスでは、乾杯の時にスピーチをする習慣がある。その時に女性を誉めるのは決まり事だ。「よい仕事をする男の陰には、かならず偉大な女性がいる」というのが主催者の歓迎スピーチだった。それ以来、つれあいはこの人のファンになった。彼女によれば、わが郷里の先輩がロンドンで活躍する今日があるのも偉大な女性の同級生に鍛えられたからなのである。

1 件のコメント:

  1. 故郷のイメージは土地柄であり文化の違いによることが多い、そして個人の資質に大きくかかわる。一方人から受ける影響や言葉は更に大きい、恩師の言葉、友達、先輩そして特に異性の存在は大きい。沢山の故郷にまつわる記憶それが私にはまぶしい♪♪♪

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