2015年2月8日日曜日

ペルーからボリビアへの旅の記憶

ここではない場所、現在ではない時間に惹かれるのは人間の本能だ。そういう選択肢があると考えることで勇気をもらったり、自由を感じて、毎日続く日常に耐えられるということはある。サン・テグジュベリの作品を読んで、時折りエンジンが停まる劣悪な飛行機の時代に人は何故飛行機乗りになるのかについて共感してしまう人もいるだろう。開高健の「夏の闇」を読んで自分の生き方に影響を受ける人もいるだろう。上温湯隆のサハラ行についての記録を読んで不毛の砂漠について考える人もいるはずだ。理解できないことも多いが、これらの冒険の記録が読者の気持ちを波立たせるのは、冒険や放浪の物語が、大昔のものなどではなく、現在形で自分の心の中にも存在していることを感じさせるからだろう。

 若かった頃のつれあいとの二人旅のことを思い出した。インカ帝国の遺跡と言えばマチュピチュが良く知られているが、そのベースキャンプであるクスコの街の近郊にあるサクサイワマンという城壁も見応えがある。16世紀にインカ帝国がピサロ軍によって滅ぼされた時のインカ側の最後の砦だ。この遺跡は「満腹のハヤブサ」という意味らしい。現地のガイドの説明が妙に記憶に残っている。「旅の記念に遺跡の名前を憶えてください。sexy womanです。簡単でしょう。」。確かになかなか忘れない。1987年の暮れのことだ。ペルーの首都リマに飛行機で入り、さらにクスコまで飛行機で移動した。いくつかのインカの遺跡を見学した後、クスコからチチカカ湖畔の街プノまで列車の旅をした。車窓から眺めたアンデスの山々が印象的だった。列車の旅の終点プノに滞在した後、船で湖の反対側に渡るともう隣の国ボリビアだ。首都のラパスまで車で移動して飛行機で次の目的地に飛んだ。

 つれあいと一緒になって初めての長旅としては、ずいぶんと風変りなルートを選んだことになる。大きなバックパックを背負って旅をした。つれあいはクスコの最後の晩に食べたものが悪かったらしく、その晩は朝までひどい腹痛に苦しんだ。翌朝は気力を振り絞って予定の列車に乗った。プノに向かう列車の中でも困っていると、気の毒に思ってくれた旅の人がイモディアムという薬を飲めと手渡してくれた。嘘のようにつれあいの腹痛は治まった。一日がかりの列車の旅がやがて終わる夕暮れ時が近ついてきた。

車窓から列車に手を振る子供たちの姿が見えた。牧歌的な風景だと思った。すぐ側の窓ガラスが割れて、飛び込んできた小石が同じ車両に乗っていた人に当った。幸い大事にはいたらなかったが、びっくり仰天した。どうやら外人観光客の旅というのはその土地に住む人々にとっては、必ずしも歓迎すべきものなどではなく、いまいましいものであるのかも知れない。そうでないかも知れない。いろいろな人がそういう土地で生きている。そういう不便な旅はもう長いことしていない。30代の始めの頃だった。いつかもう一度そういう辺境の地を訪れてみたいという秘密の希望はまだ持っている。



 


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