2015年2月8日日曜日

コップの中の半分の水

FB友だちがシェアしてくれたウルグアイのムヒカ大統領のスピーチを聴いてみた。「持続可能な開発」について、現在までの取り組み状況とその成果をレビューするために2012年に開かれた大きな国際会議でのスピーチだ。世界各国の代表が集まり、水資源の有限性や地球環境問題について適切な対策を講じる必要性について演説した。ムヒカ大統領は人々のライフスタイルと幸福追求の態度の転換なしに持続的な経済発展を達成できないことを、見事に指摘している。「われわれは幸せに生きるために生まれてきたのだ。発展するために生まれてきたのではない。」 幸福追求の手段としての発展が目的になってしまっているのではないか?という問いかけは鋭い。

2012年のリオ・デ・ジャネイロの会議の関係情報をおさらいしてみた。かつて国連の実施機関であるUNIDOで働いていたので、複雑な気持ちだ。2012年のイベントにほとんど無関心だったのは何故だろうかと反省した。2011年に家族と仕事にいろいろあって、その年の暮れに途上国の現場を離れて、ロンドンの本部に戻った。おかげで2012年はあちこちへの出張に追われて忙しかったこともある。UNIDOにいた時に、1992年のアース・サミットの準備をする部署にいたので、それが20年ぶりとは言え、再び開催されたことへの懐疑もあったと思う。

このような国際会議で地球環境の保護と経済開発のトレード・オフをめぐるいくつもの問題に関心が集まるのは大事なことだ。その一方で、こういう会議の後で結局のところ何が変わるのかとなると、無力感に襲われることもある。ムヒカ大統領も、この点について指摘している。「わたしはこのような国際会議を批判しているのではない。その逆だ。われわれがどういう社会をめざすべきなのかという政治的な選択についてリーダーたちが決断する必要があるのだ。」 「コップの中の半分の水」という言葉がある。1992年当時のUNIDO事務局長だったドミンゴ・シアソン氏が最初のアース・サミットの結果についてコメントした時の言葉だ。

帰省した時に参加した会合で教わって、なるほどと思ったことがある。「話し合いやコミュニケーションは勝ち負けではない」ということだ。勝負を競えば、「それは知っている」「われわれのせいではない」「われわれは悪くない」というのが常套句になる。一方で勝負を度外視して「そういう考え方もあるのか」「そういう風に感じる人もいるのか」と受け止めることで新たなコミュニケーションの地平が開ける。持続可能な開発をめぐる論議についても「コップの中の半分の水」のような現状をネガティブに受け止める人もいる。まだ半分もあるのだから、これからつぎ足していけばいいとポジティブに考える人もいる。どちらの意見にも耳を傾ける必要があるだろう。

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