2015年2月18日水曜日

忠犬チビ太とマッツ

昨年の9月から日本で暮らしているつれあいは、毎朝8時頃に電話をくれる。しばらくはお互いが気の向いた時に電話をしていたが、それだと家にいない時もあるので、時間を決めることにした。スカイプは無料で良いという話だが、電話の味も捨てがたい。今朝の電話でつれあいが憤慨していた。どうしたのかと訊いてみると、昨晩のテレビ番組を観たら哀しくなったと言う。犬の飼い主であるお母さんが入院した病院を自力で探し当てて、会いに行った忠犬の番組を見たのだと言う。それに比べて、わが家の犬たちは?というのが抗議の理由らしい。

2011年4月に病気が見つかり、東京で緊急手術となったつれあいはそのままビシュケクを離れて闘病生活を送った。わたしも2週間後にキルギスを離れた。犬たちはビシュケクの知人の家に預かってもらった。わたしは7月にキルギスからの引っ越しのために犬たちと再会し、また東京に戻った。結局その年の11月末まで犬たちと別々に暮らした。2001年の終わりにタシケントの青空市で他の兄弟犬と一緒に売られていたチビ太とマッツがわが家に来て以来、長期の別離は初めてのことだった。

つれあいが言うには、赤ちゃん犬の時は夜泣きするのを寝ずにあやしたり、ウズベキスタン、マケドニア、キルギスと3つの途上国で育て通したり、毎日の散歩で大きな犬に襲われそうになったのを何度も助けたり、スコピエでは撒かれていた毒を飲んで死ぬところだったチビ太を病院に運んだり、数えあげればきりがないほど犬たちに愛情を注いだ。それにも関わらず、病から生還したつれあいと9か月ぶりにロンドンで対面した時に、つれあいが呼んでもぽかんとして、わたしの後ろにまとわりついていたことを薄情だと思っているらしい。

犬たちは5月から11月まで、他人さまのところで世話になり、11月の末にわたしに引き取られ、すでに厳寒のアルマーティに陸路で移動してから、ロンドンまで飛行機の旅をした。ロンドン到着から、その年末までは検疫所に収容された。犬たちにしてみれば誰が自分たちの飼い主になったのか混乱したのかも知れない。年が明けるとイギリスの検疫制度が変わり、英国入国前に所定の手続きを済ませている犬は検疫所にいる必要はなくなった。

わたしがロンドンでまだ仮住まいだったので、犬たちは同じ施設の中の犬のホテルに移った。あちらの棟からこちらの棟に移っただけのことだ。週半ばと土曜日に、ヒースロー空港の第5ターミナルから車で10分くらいの施設にいる犬たちに会いに行く生活を1か月半ほど続けた。犬たちはわたしを見ると、居室の金網越しにしっぽを振って喜んでいた。真冬だったので散歩を続けるのが大変な時には犬たちの部屋で、本を読んだりして一緒にいた。そういう生活の中でわたしと犬たちの結束が強まった時に、つれあいが日本からやって来た。犬たちがしばらくぽかんとしたのも無理はない。

つれあいが今度は親の介護のために日本に帰ったので、犬たちは再びわたしと3人(匹)の暮らしをしている。犬の様子が一目でわかるように写真のブログを使っている。メールに写真を添付すると重くなってやっかいだからだ。つれあいは始めのうちは犬が元気そうで嬉しいと感謝していた。最近は自分がいないにも関わらず犬たちは寂しくないのだろうかと疑問に思っていたようだ。そこにテレビで忠犬の感動物語を観て、ショックを受けたわけだ。犬がつれあいを恋しがって元気がなくなったら、それはそれで問題なのだけれど、理屈を言っても仕方がない。


 



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