2015年9月1日火曜日

焼き立てのチーズパンの匂い

最近ジョージアのハチャプリや、東京の「ピッツァ・マルゲリータ」のことがフェースブックで話題になった。チーズ入りのバゲット、ジョージアのハチャプリ、ピッツァ・マルガリータに共通しているのは小麦とチーズが溶けたか、焦げたかの熱々の状態を食べる旨さだ。余計なものと一緒にしないで、それだけ食べるのが美味しい。

子供の頃、学校の給食に出てきた三角形のチーズを食べても、たまに家で長方形のチーズを食べても美味しいと思ったことがなかったが、郷里長岡の大手通りにあったボン・オーハシのチーズ・パンは特別だった。一センチ四方の立方体のチーズがこんがり溶けてフランスパンの表面にあったり、白いパンの中に隠れていたりするチーズ入りバゲットはとてもお洒落で美味しい食べ物だった。

30代の終わりくらいに仕事でコーカサスの国を訪れた。ジョージアの「ハチャプリ」はワインと料理の食卓の前菜としても出てきた。「ハチャ」はチーズのことで、「プリ」はパンだ。一番美味しかったのは、散歩していた見つけたハチャプリ屋の焼き立てだ。日曜日に通りを散歩しているとお昼時になった。おばさんが大きな声で叫んでいた。「ハチャプリ、ハチャプリ!!」。何事かと思ったら、パンを窯から出したので、熱々のものを食べろと訴えているらしい。何人かの人と一緒に列に並んで食べてみた。その後、機会があるたびにジョージアン・レストランで試してみたが、そのおばさんの売っていたハチャプリ以上のものを食べたことがない。

英語圏でのピッツァ原体験ともいうべき記憶がある。1986年の5月に生まれて初めて踏んだ海外の土地がシカゴだった。英語研修先のニューヘイブンを目指す途中で、友だちのT君が入れ替わりにシカゴを離れるところだったのでお邪魔することになった。学生結婚の日系アメリカ人の奥さんはまだ引っ越しの荷造りで忙しかったので、T君と二人で近所のピザ屋に行った。なんだかきらきら輝いて見えた。当時のわたしにとってアメリカは憧れの国だった。3年がかりの努力が実ってようやくアメリカ大陸の土を踏んだのだった。ウエートレスのおねえさんたちがカッコ良かった。気を良くしたわたしは「注文してくるよ」とカウンターに向かった。そこからの展開が予想しないものだった。英語が通じないのである。しばし呆然とした。仕方がないので適当に調子を合わせてから席に戻った。この時以来、アメリカのピザはキラキラ輝いているが不可解な世界を象徴するものになった。

フェースブックでピッツァの話題に参加している人の多くが「ピッツァ・マルゲリータ」と書いているので、違和感があった。調べてみると、どうもそれが多数派のようだ。お洒落なお店の日本語・イタリア語メニューとかに精通されている人にとっての日本語表記は「ゲ」なのだろうが、英語圏でピザに目覚めたわたしにとっては「マルガリータ」しかあり得ない。これは実はどちらでもいいことだ。その音にアクセントがない場合には「ガ」でも「ゲ」でもない。軽い鼻濁音なので実はどちらでもないのが正解だ。

蛇足ながら、イタリアのピッツァとNY,シカゴ、フィラデルフィア辺りのピザと似て非なるものだという考え方がある。アメリカでイタリア移民によって広まったこの食物が当初「トマト・パイ」と呼ばれたという記録もある。現在ではトマト・パイはピザの一種と考えられているようだ。古代からユーラシアに広く分布する窯焼きフラットブレッド (インドのナンが有名だが、これは中央アジア、コーカサスでも似通ったものがある) が、イタリアのピッツァの始まりらしいが、ソースのトマトや、トッピングのペッパーは新大陸原産なのでコロンブス時代以降にイタリアに伝わっている。第二次大戦後のパックス・アメリカーナの時代になって、「イタリア風アメリカン・ピザ」 が世界に広まる以前には、世界各地で小麦粉を平らにして、チーズを乗せて焼く様々な食物が存在していたようだ。

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