2015年6月7日日曜日

集団的自衛権についての議論は尽くされたのだろうか?

家の近くにターナム・グリーンという緑の広場がある。教会があって、その周辺にただ芝生が広がっている。歩く小道が整備されて山桜の並木がある。その広場の隅にいつのまにか赤いケシの花(ポピー)が咲いている。この広場の東側の一角に戦没者追悼のこじんまりした石碑がある。そこに植えられた花の種が風で飛ばされたようだ。ひっそりと咲いている。赤いケシの花は欧州では戦没者追悼の花だ。去年の11月に友だちが遊びにきてくれた時にはちょうどセラミックのポピーがロンドン塔の空堀を埋め尽くしていた。1914年の第一次世界大戦の勃発から100周年の大きなイベントだった。11月11日が戦没者記念日となっているのは1918年の終戦の年の日付けだからすこしややこしい。欧州戦線の戦場となったフランダースの野原に咲いていた赤いケシの花が戦死者を悼む詩に歌われたことに由来するものだそうだ。ロンドン塔周辺を赤く埋め尽くしたセラミックの花を撤去しないでほしいという声も新聞紙上でにぎやかだったが、結局当初の計画通り希望者に売却された。ずっと残したいと考えるのならリアルの花を植えれば良いのでは思うが、その開戦から100周年の大騒ぎが終わってからそういう話はまだ聞いていない。お祭り騒ぎが終わると静かになるのは日本だけの話ではなさそうだ。

ちょうど一年くらい前に日本でも平和を考える問題について国論を二分するかのような大議論があった。メディアでもフェースブックでもにぎやかだった。鎌倉の母がいろいろ新聞の切り抜きを送ってくれた。80歳を越えた母が勉強してほしいと願っているのだと感じて丁寧に読んだ。5月3日は憲法記念日だった。朝日新聞の第3面に掲載された長谷部恭男教授と杉田敦教授との対談(201453日)で、両教授による集団的自衛権についての説明は明確だった。快刀乱麻を断つが如くの明快な議論だったので大事にとっておいた。それから選挙があったりで、いろいろあるとなんだか騒ぎは静まった感じがした。一年ほど経って今度は「解釈」ではなくて「新法案」の形で同じ議論になっている。国会の憲法審査会に与党の推薦を受けて出席した長谷部教授が同じ趣旨の発言をしたので大騒ぎになっている。

Blogosに掲載されていた関連記事を読むと、当日の審査会の議題は一般的なもので、集団的自衛権の行使についての質問は出席の議員の方から出たものだそうだ。それならば与党の関係者がおおあわてという報道も理解しやすい。長谷部教授の発言に重みがあるのは長く東大で憲法の講義をしてきた憲法学の権威というだけではない。様々なテーマで保守寄りの意見も、革新寄りの意見もある人で、きちんとした議論が尽くされた場合の結論については右左にこだわらない人だからだ。

政権に復帰した与党が集団的自衛権の問題に着手したのは去年の春からだった。その時に政府の立場を明確に批判していた長谷部教授が与党推薦で審査会に招かれたことに感動した。解釈改憲により集団的自衛権の行使を可能にしようとした政府の姿勢について、長谷部教授は以下の3点を指摘していた。
  • 「地動説から天動説への変更どころか、太陽系自体が壊れる」ほどの重大な変更である。このような転換は政府の憲法解釈というもの全体を、非常にあやふやなものにし、「法の支配」をゆるがせにしかねない。
  • 集団的自衛権の行使を容認するには、憲法を改正しないといけない。
  • 国民全体で大議論をして、その結果、「こう決断した」というのがないといけない。
わたしは戦争には反対だ。人を殺すのも、殺されるのも嫌だ。それでもこの問題が複雑なのは自分の家族や愛する者を守らなければならない時の実力行使を否定するわけにはいかないからだ。この点でいろいろな考え方が出てくる。大議論が必要であることは明らかだ。こっそりと誰かの解釈や一部の専門家だけで決めてもらう話ではない。
 







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