今朝のフェースブックでスリランカのカレーが世界一美味しいという投稿を読んだ。「どこの国のカレーが最も美味しいか」というのは、「どこの家の味噌汁が最も美味いか」いう質問に似ている。おそらくは自分が経験したもので一番好きなものが世界一ということになりそうだ。つれあいが青年海外協力隊員としてコロンボ大学で働いていた時に、この国を訪ねたことがある。その時の印象から言うと肉でも、魚でも、野菜でもありとあらゆるものに何かしらのスパイスで「カレー」風の味付けがしてあって、味はどれも違っていた。コロンボを起点に当時のボンベイ(現在のムンバイ)、デリー、アグラ(タージマハルのある街)、カジュラホを経てネパールの首都カトマンズを訪れた。インドに戻りマドラス(現在のチェンナイ)経由でコロンボに戻った。スリランカでもインドでもレストランのビュッフェでは種類の豊富さに圧倒された。スリランカの第二の都市キャンディで途方もない辛さに涙を流しながら食べた「デビル・チキン」が懐かしい。
インド大陸各地ではスパイスたっぷりのこってりしたカレーが多いが、スリランカではさらさらしていた。さっぱり好みの日本の人に向いていそうだ。ただし辛い。つれあいの話ではいつもは町の気軽なカレー屋でランチ・パケットを買って食べていたそうだ。炊いた米とカレーがちょっぴりだが、とにかく安い。これは昔の日本で、塩辛い漬物や梅干しでご飯を食べたのと似ている。おかずが少しでもご飯が食べられる工夫だ。当時の駐スリランカ大使はご夫人の仕事の都合で単身赴任だったので、外食されることが多かったそうだ。海辺のレヌカ・ホテルのスリランカ・カレーは大使の気に入りだったと聞いた。大使のご夫人は若い頃に中国大陸で人気歌手として一世を風靡された人だ。昨年ご逝去された。「2001年宇宙の旅」などで知られるアーサー.C.クラークは、この国で晩年を過ごした。わたしのつれあいがシステム・エンジニアとして働いていたコロンボ大のコンピューターセンターの主任教授が、この作家と仲良しだったので、教授のお供で何度かお会いしたそうだ。この作家は具合の悪かった膝に負担がかからないように潜水を趣味にしていた。海の中の浮遊感が宇宙の小説を書くのに役に立つという話をつれあいにしている。
スリランカは当時インド系のタミール・タイガーというスリランカからの分離独立を目指すテロリト達があちこちで爆弾テロを仕掛けている真っ最中で危ない国だった。スリランカ内戦は1983年から2009年まで26年間続いた。おかげで、平時だったら王侯貴族かVIP御用達のゴール・フェース・ホテルに格安料金で滞在できた。ここは英国植民地時代に造られた最高級のホテルで海を眺めるプール、庭園、テニスコートがあり、ホテルのインテリアも含めて古き良き時代の雰囲気が最高だった。ダンブッラの黄金寺院、古都シギリアの岩に書かれた美人絵、古都ポロンナルワの釈迦涅槃像など忘れられない旅になった。この小旅行の行く先々で武装した政府軍の兵士たちに車は止められて「何をしにきた」と誰何されている。内戦状態のスリランカでは島の北部はタミールタイガーの本拠地だ。仏教遺跡を巡る内陸の旅で危険地帯に近ついたことになる。内戦の状況を把握していなかったわたしと同行したつれあいも困ったものだが、ツアーの車とガイドをアレンジする旅行会社もずいぶんだ。この夏のインド、スリランカ、ネパールの旅はわたしの人生観に大きな影響を与えたと思う。その後1991年から国際開発関係の仕事について海外暮らしを続けている。
あれから長い時間が過ぎた。いつかスリランカの戻ってみたいと思っている。まだスリランカ再訪は果たしていないが、読んだ本の中でスリランカにめぐり会うことが何度かあった。ロシアの作家チェーホフは「サハリン島」という本を書いている。サハリンに滞在した帰り道にコロンボを訪問している。森鷗外の「舞姫」の中でも、主人公を乗せた船がコロンボに寄港している。わたしの母校であり新潟県立長岡高校の大先輩に藤井宣正という人がいる。第一次大谷探検隊のメンバーとして、探検隊による仏教研究をリードしたと言われている人だ。この人は英国留学中だったので、探検隊の他のメンバーと合流するためにインドに向かう途中で、スリランカに降りてこの地の仏教を研究している。
開高健は絶筆となった「珠玉」の第2章「弄物喪志」中でスリランカの宝石のことを書いて、マルコ・ポーロの「東方見聞録」について触れている。イタリアに帰る途中でスリランカに寄ったマルコ・ポーロはスリランカの宝石について「この世で最も高価なものについて話そう。それはまことにりっぱな、高価なルビーで、この島にだけ産出する。世界のどこにも見られないものである。この他にも、サファイア、黄玉、紫水晶、柘榴石など、さまざまな高価な宝石がある。」と書いている (「東方見聞録」青木一夫訳、校倉書房)。
宮本輝の作品を集中的に読むようになったのは「ひとたびはポプラに臥す」というシルクロード紀行を読んだのがきっかけだった。1989年の「愉楽の園」というバンコックを舞台にした小説の中に「セイロンで爆弾テロがあったそうです」というニュースが流れる場面がある。スリランカの首都コロンボで爆弾テロがあり100人以上が死傷したのは1987年4月のことだ。長らく駐在生活を送った中央アジアの紀行がきっかけで、読みふけった作家の小説に、現在の海外生活の原点であるスリランカの話を見つけた時には不思議な気持ちがした。様々なことがつながっているような気がしたからだ。
スリランカは親日国だ。1951年のサンフランシスコ講和会議で対日賠償請求の放棄について演説をしてくれた国に対して、日本としても厚くその恩に報いるのが道理というものだろう。国のレベルでなく、一人一人ができることをすれば良いと思う。スリランカの国旗にはライオンの絵が使われている。古代の仏典ではこの島は「獅子の島」と呼ばれていたそうだ。この国の公式言語は「シンハリーズ(シンハラ語)」だが、シンハというのはサンスクリット語でライオンを意味する。タイ料理を食べに行くと出てくる「シンハ・ビール」のラベルもライオンの絵だ。シンガポールモ「シンガ」の部分がライオンに関係があるらしい、この国の象徴であるマーライオンだ。この辺り一帯が古代ノある時期にはサンスクリット文化圏であったことが想像できそうだ。
わたしの好きな作家たちの多くはスリランカに縁がある。わが家にとってもスリランカは出発点として重要な意味を持つ国だ。結婚指輪の内側にはそれぞれCOL-87という刻印が入っている。
古都ポロンナルワの涅槃像わたしの好きな作家たちの多くはスリランカに縁がある。わが家にとってもスリランカは出発点として重要な意味を持つ国だ。結婚指輪の内側にはそれぞれCOL-87という刻印が入っている。
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