2016年8月9日火曜日

忍者修行の里と伊勢の餅菓子のこと

W文春に「忍者修行の里」という風景写真が載っていた。涼しそうできれいな景色だと思いながらテキストに目をやると「赤目四十八瀧」とあるのに気が付いた。2015年の5月に逝去された車谷長吉氏の直木賞受賞作の舞台だ。鬼気迫る本だった。主人公は作家になりたくて、東京のサラリーマン生活を捨てる。作家志望専業になって転がり込んだ実家の母親は息子に愛想を尽かす。「他人様は上手いことを言うだろうよ。お前が野たれ死にしようがしまいがどうだっていいだろうから。それを真に受けてどうする。」  この小説の主人公は、仕事を転々として、やがて大阪尼ヶ崎のアパートの一室でひたすらモツ肉の串を刺し続けることになる。怪しげな場所に居つくようになること、それなりに居心地の良さを発見すること、不思議なヒロインが登場することの3点で安部公房の「砂の女」を連想させるが、「赤目四十八瀧心中未遂」を際立たせているのは緊迫した情念の強さだ。

この広告の伊勢の餅菓子には思い出がある。東京で会社員をしていた時に同じ部に新しく入ってきた女子がいた。伊勢の出身で、この広告の老舗とライバルにあたるお店が実家らしい。わたしが会社を辞めた時にその関連の玉突き移動で、彼女は調査課から購買課というもう少し実業に近いグループに移動となった。口数の少ない人だったが「お辞めになるおかげで、わたしが購買課に行くことになって大変ですよ」と声をかけてくれたのを覚えている。世間の注目を浴びた疑獄事件で失脚した政治家の人と同じ苗字だった。親戚だそうだ。

「何気ない写真」 と 「伊勢」の組み合わせで松本清張原作、野村芳太郎監督の傑作 「砂の器」 (1974年) を思い出した。人情味豊かで人望のある老巡査が定年後に伊勢参りの旅に出る。旅先で行方不明となり、東京で殺人事件の被害者として発見される。幾重ものトラウマを抱えて手負いの獣のように生きる主人公を描いた物語は、映画全編を流れる音楽と、流浪する父子の旅する日本の風景が印象的だった。旅先の田舎の駅に飾ってあった何ということのない集合写真を目にしなければ、それに続く悲劇が起きる必要もなかったのにと痛ましい気持ちになる。傑作だ。

映画「砂の器」を観たのは1975年3月だ。大学入試の発表の日だったので覚えている。お昼に新宿で高校同級のN君と会った。二人で昼飯を食べてしまうと、まだ日が高かった。どうにも結果発表のキャンパスに足を運ぶのが気が重い。その数日後に2期校受験が待っていた。すでに浪人を決めていたN君の誘いだったような気がするが、新宿ピカデリーで「砂の器」の看板が見えると、まずは映画でも観てからということになった。長い映画で途中から発表の方が心配になってきた。映画館を出るともう暗くなりかけていた。結果を見附の父に電話すると叱られた。連絡がないので、落胆のあまり失踪したのかという話になっていた。

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