2016年6月20日月曜日

「サラセン人の麦」って何?

去年の暮れに渋谷で「リバプール美術館 ラファエル前派展」を観た時に「サラセン人の娘」という題名の絵があり、久々に「サラセン」という言葉に触れた。それがきっかけで調べてみると、現在ではこの言葉は使われないという説明を見つけた。「アッバース朝イスラム帝国」ならば良くて、当時の欧州人が使っていた西側の言葉は良くないということらしい。そういう理由での地名の変更は他にもたくさん例がある。インドの街の名前がたくさん変わった時もびっくりした。若い頃のバックパックの旅の思い出につながるのは古い地名のほうだから、それが消えてしまうのは寂しい。

「サラセン人の麦」も珍しいので残してほしい言葉だ。2年ほど前にフェースブックで欧州言語同時翻訳ソフトという優れものが紹介されていた。面白いのでしばらくはキュウリ、ピーマン、紫陽花などの名前の変化と分布を眺める一人遊びにはまっていたことがある。蕎麦は英語ではbuckwheatと言う。これを翻訳ソフトに入れると仏語で「サラセン」、露語で「グレチカ」などと出てきた。この時に出てきた「saracen」というローマ字を読んだ時は、日本の更科蕎麦(sarashina)を食べた人がフランスに外来語として持ち込んだのかなと思った。ググって見ると中国原産の蕎麦がサラセン帝国経由で欧州に広まったとある。

蕎麦は昔から好きだが、仕事で中央アジアに長い間住んだ時に蕎麦の美味しさを再発見している。キルギス共和国の首都ビシュケクに駐在していた時の職場にキッチンがあった。お昼になるとロシア人のおばさんが腕を振るってくれた。この時に付け合せとして頻繁に登場したのがグレチカだった。東西の食べ物の類似はとても面白いので、他にもブログで書いている。


 

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