2016年5月31日火曜日

「体から飛び出す」ほどの想い

先日NHKで禅宗美術についての番組を観ていたらすごい映像が出ていた。人物像のお腹から顔が出ている。尊者の内面にある仏性を表現したものだそうで、像のタイトルも「仏性」とある。人間の内部にある気持ちを表現するために、体が機械の部品であるかのように表現されているのが印象的だった。この像をみていくつか連想したものがある。

まず連想したのがメキシコのフリーダ・カーロの絵だ。この人の絵にはマンガの吹き出しみたいにあれこれと体の内部だったり、人間の顔だったりが書き込んであるものが多い。若い時に交通事故で死にかけたこの画家は体が不自由になる。自分の体の中に閉じ込められたという想いが創作の原動力になったらしい。また夫となった巨匠ディエゴ・リベラを愛し、同時に彼の女癖の悪さに苦しんだことが評伝に書かれている。その苦しみをテーマにした「二人のフリーダ」という印象的な絵がある。

もう一つ連想したのが森進一の歌った「北の蛍」という歌だ。「もしもわたしが死んだなら、わたしのこの胸を破ってたくさんの赤い蛍が恋しい人のもとに飛んでいくだろう。。。」という凄絶なイメージの歌である。名曲なので紅白歌合戦でも聞いた覚えがある。こういう歌をお茶の間のTVで家族一緒に聞くのは困ったものだ。赤面してしまいそうだ。

このイメージは式子内親王に叶わぬ恋をした歌人藤原定家の魂が、つる草になって親王の墓を覆い尽くしたという定家葛の伝承とも共通している。いつの時代にも、いろいろな人がいる。いろいろなことがある。それでも人が何かを想うことで一生懸命なのはあまり変わることがない
 

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