2016年4月13日水曜日

様々な桜があるのにソメイヨシノが格別に愛されるのは何故か?

4月10日の朝日朝刊の「日本人と花見」という記事が面白かった。1)奈良・平安の貴族の時代には中国伝来の梅が文化・教養の象徴としてもてはやされたので詠まれた和歌の数も桜より多い。2)観桜の宴が始まったのは武士の世となった鎌倉時代以降で、桜は死や無常観の象徴となった。3)花見が庶民の娯楽として広まったのは江戸時代に園芸品種であるソメイヨシノがあちこちに植樹されて以降のことである。なるほど。

海外生活を打ち切ることを考え始めた去年の春にせっせと街の風景を撮り始めた。ロンドンの桜もたくさん撮った。去年の秋に帰国して、今年の春は鎌倉の桜を追いかけた。たくさんの種類の桜があり「はかない色の花が一度に咲いてすぐ散る」ものばかりではないことに自然と気がつく。

この時期に各地を訪れて花見を経験したイタリア人の友だちから「どうして日本人は桜が特別に好きなのか」という質問を受けた。「気持ちをそろえるように一度に咲いて一度に散るソメイヨシノが武士道の精神と重なって尊ばれるからだろう」と答えました。「それは昔からか?」と再度質問されたので考えてみた。

京極純一の「日本の政治」の中で「明治になって四民平等の制度となり、サムライ精神が広く競争の原理となった」と指摘されていることを思い出した。それまでの身分が固定された社会では「競争」というのは秩序の紊乱に通じかねない。「和の精神」こそが尊ばれることになる。明治の近代化の中で競争原理が公のものとなり、四民がこぞって「サムライもどき」として武士道精神を尊重したという指摘だ。面白い。



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