2015年3月2日月曜日

「静夜思」と「楓橋夜泊」 タシケントで筆談した思い出

1999年にタシケントに赴任した頃は政府主催のレセプションに出るのも仕事の一部だった。着席のディナーだったりすると国際機関で一緒にされることが多かったが、そうでない時はアジア人同士で中国大使館の皆さんと同席することが多かった。旧ソ連圏の国に派遣されている中国の外交官の皆さんはロシア語の専門家が多く、英語が通じないこともある。気の難しそうな人と隣り合わせた時は静かにしているのが一番だが、感じの良さそうな人だったら何とか交流を試みてみたいと思うことはある。こちらのロシア語は習い立てで、あちらが英語を話さないとなると工夫が必要だ。高校時代に習った漢詩のいくつかをボールペンで紙ナプキンに書いてみた。李白の「静夜思」という短い詩は好きなので覚えていた。

    床前看月光 
    疑是地上霜 
    挙頭望山月 
    低頭思故郷

それを見たお隣さんがビックリしてから、満面の笑顔を見せてくれた。お互いに故国を離れて、遠い中央アジアの国に赴任していた境遇は一緒だ。タシケントの月を見て、自分の故郷をしのぶ思いに国境はないだろう。それからは漢字の筆談で話が盛り上がったので、もう一つ蘇州の寒山寺が出てくるので有名な張継の「楓橋夜泊」は書いてみた。こちらは少し漢字を間違えたが、相手は直してくれた。

    月落烏啼霜満天 
    江楓漁火対愁眠 
    姑蘇城外寒山寺 
    夜半鐘聲至客船

この詩も唐の時代に、都を遠く離れて旅した詩人が夜半に鐘の音を眠れなくなり、周辺の風景の美しさと静けさにますます旅愁をかきたてられるという内容の詩だから、これまた中央アジアに赴任している者同士がたまたま隣合わせた酒宴の席での話題にはぴったりの詩ということになる。この二つの詩はたまたま学校で習って、それしか知らなかっただけだが、思わぬところで役に立つことがあるものだ。漢字の国に生まれて良かったと実感した思い出だ。こういう哀愁に満ちた気持ちを表現したものが漢詩に多い気がする。高校生の頃に漢文の時間というのは、漢詩を習うのも楽しかったが、それを教える先生たちに何とも言えない味があった。

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