先日NHKで美術番組を観ていたらすごい映像が出てきた。人物像のお腹から顔が出ている。尊者の内面にある仏性を表現したものだそうだ。人間の中にある気持ちを表現するために、体が機械の部品であるかのように表現されている。
この像をみていくつか連想したものがある。メキシコのフリーダ・カーロの絵にはマンガの吹き出しみたいにあれこれと体の内部だったり、人間の顔だったりが書き込んであったりする。若い時に交通事故で死にかけたこの画家は体が不自由になり、自分の体の中に閉じ込められたという想いが創作に向かったらしい。夫となった巨匠ディエゴ・リベラを愛し、同時に彼の女性遍歴に苦しんだことが評伝に書かれている。その苦しみをテーマにした「二人のフリーダ」という絵が印象的だ。
森進一の歌った「北の蛍」という歌がある。「もしもわたしが死んだなら、わたしのこの胸を破ってたくさんの赤い蛍が恋しい人のもとに飛んでいくだろう。。。」という凄絶なイメージの歌である。紅白歌合戦でも聞いた覚えがあるが、こういう歌をお茶の間のTVで聞くのは困ったものだ。どういう表情をすればいいのか。
式子内親王に叶わぬ恋をした歌人藤原定家の魂が、つる草になって親王の墓を覆い尽くしたという伝承がある。いろいろな人がいる。いろいろなことがある。それでも人が何かを想うことで一生懸命なのはあまり変わらない。
森進一の歌った「北の蛍」という歌がある。「もしもわたしが死んだなら、わたしのこの胸を破ってたくさんの赤い蛍が恋しい人のもとに飛んでいくだろう。。。」という凄絶なイメージの歌である。紅白歌合戦でも聞いた覚えがあるが、こういう歌をお茶の間のTVで聞くのは困ったものだ。どういう表情をすればいいのか。
式子内親王に叶わぬ恋をした歌人藤原定家の魂が、つる草になって親王の墓を覆い尽くしたという伝承がある。いろいろな人がいる。いろいろなことがある。それでも人が何かを想うことで一生懸命なのはあまり変わらない。