2016年7月16日土曜日

バングラデシュのテロ事件で気になったこと

バングラデシュで開発協力事業に携わっておられた方々が命を落とされたことで心が痛んだ。わたしも長くこの業界でお世話になったので複雑な思いがする。1995年3月のバクーのクーデター未遂の銃撃戦はわたしの宿泊していたホテルの前で起きた。1999年4月にはタシケントに赴任する直前に、職場近くで大規模な同時爆破テロが起きた。2010年4月のキルギス政変の時には住んでいた家を逃れて地元の友人の家に避難した。一週間ほどは何が起きるかわからなかったので緊張した。そういう事態が起きている国に駐在していて、偶然テロの現場に居合わせればいつでも巻き込まれる可能性はある。

1)駐在ないし長期出張先の国でテロ事件に遭遇する可能性があること、2)それらの国々に親日家の人々がいて親切にされることも、そうでないこともあること、3)開発協力の対象となる途上国に不満を抱えた人々を生み出す状況が存在していること、4)不満を理由として暴力に訴えるテロリストが存在していること等がテロ事件が起きるたびにひとからげで報じられ、議論されている気がする。親日国かどうかを事件発生後に議論しても仕方がない。その国の現状を分析し直したところで殺された人が生き返るはずもない。テロリストが次々と誕生する社会の仕組みについて分析すべきなのはまた別の話だ。開発協力などで治安が不安定な国で仕事をする場合に、事件に遭遇するリスクをどうやってミニマムにするか?セキュリティのプロに頼ることも含めてどのような対応が可能か?そのためにどのくらいのコストがかかるかに絞った議論が必要だ。


先日、友人たちとの会合でバングラデシュの事件の話になった。「どうして「我々は日本人だから殺さないでくれ」なんて恥ずかしいことが言えるのだろう」という疑問を呈する人がいた。「どこの国の人であろうと平等に助かるべきだ」という趣旨の質問だと理解している。しかし異国でテロ事件に巻き込まれて「日本人だから。。。」と訴える側にも、言い分はあるはずだ。1980年代の途上国に駐在する商社マンたちの悲哀と苦労を描いた「僕らはみんな生きている」という映画がある。この映画の中でも空港への脱出をはかる4人の駐在員たちは「われわれは日本人のビジネスマンだ。おたくの国の中の仲間割れで殺さないでくれ」と訴えていた。それでも銃弾の雨は降ってきた。


殺されるかもしれない状況で「自分は日本人だ。異国の土地で死にたくない」というのは自然な感情だ。誰かよその国の人を身代わりにして自分だけ助かりたいというのとは次元の違う話だ。もしも自分が殺されるほど誰かに憎まれているのなら(それも困るが)、少なくとも理由を聞きたい。何も知らずに殺されるのは嫌だ。ましてやその場にただ居合わせただけという理由で殺されるのは納得できない。大音声で自分が誰であるかを告げて「貴様たちも名を名乗れ!人違いではないのか?何故銃を向けるのだ?」と問い質すのは当然だ。それでも、コミュニケーションが成立しない場合もあるだろう。戦前のどこかの国みたいに「問答無用」と撃たれることもあるかも知れない。それでも無言で死ぬのは嫌だ。
 

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