2016年2月9日火曜日

マンサクの花 春を待つ心

日曜日に出かけた小石川植物園でシナマンサクの黄色い花を見つけた。植物園は名札の付いた植物を見て「ああ、この花だったのか」と思うことがあるのでありがたい。「マンサクの花」という言葉には思い出がある。

一つは電車で長岡の中学校に通っていた頃の記憶だ。電車通学の時間調整もあって、夕方の閉館まで図書館にいるのが楽しかった。ある時、中学生の文芸コンクールの入選作を集めた本を手に取った。巽聖歌という詩人の編集だった。ぱらぱらとめくっていると栃尾の叔父の作品を見つけてびっくりした。山の中にある栃尾の春に咲くマンサクの花についての内容だった。細部は覚えていないが春を待つ気持ちについての鮮烈な印象がある。

この叔父は大学で中国語を専攻してから会社勤めをしていた。高度成長期のモーレツ会社員を絵に描いたような人で、甥であるわたしに「後へ続け」と励ましてくれた人だったが、猫に小判でわたしとしては煙たくて仕方がなかった。ずいぶん反発を感じたが、正面きってぶつかる勇気はなかった。この人には最初の仕事を選んだ時に叱られ、最初の結婚相手を選んだ時にもぶつくさ言われて閉口した。離婚した時にもお説教され、会社を辞めた時にも皮肉を言われて腹を立てた。それでも心のどこかでいつも意識していた。

この人が会社の駐在員となって赴任したニューヨークから葉書をもらったこととか、その後クウェートやマレーシアで駐在代表を続けていたことに感化されていたのだろう。反発しながらも影響を受けてきた。わたしも最初の会社を辞めて以来、海外を転々とする生活をして生きてきた。わたしの中にあるこの人への敬意をどこかでつなぎとめてきたのはどうも海外駐在の経験ではないような気がする。雪に埋もれた栃尾の山の中でマンサクの花の詩を書いた中学生が、ひたすら広い世界に飛び出そうとした点でこの人との共通点を感じていたのだと思う。

もう一つ高校生の頃に見つけた丸山薫の「白い自由画」という詩を覚えている。学校の教師をしていたこの詩人が東北の学校で教えていた時の経験をうたった作品だ。図画の時間に子供たちに絵を描かせる。お手本を見せようとするが、一面の白い雪で絵具の使いようがない。試行錯誤しているうちに手元が狂って黄色い絵の具の混じった水が絵の上にぽとりと落ちてしまう。それを見た子供たちが「マンサクの花が咲いた」と喜んだという内容の少し長い詩だ。雪国育ちにとっては故郷を思い出す印象的な作品だ。

小石川植物園のシナマンサク



2 件のコメント:

  1. 反発しながらも影響される。そんな人がいる故郷、印象的な花の色彩を縦糸に素敵なノートですね♪♪♪

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    1. 素敵なコメントをありがとうございました。

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