退職して鎌倉に住むようになり、写真を撮って暮らしている。撮って、本を読み、教室に通い、写真展を訪れる。「写真は外の世界を映す窓なのか?撮影者の内面を映す鏡なのか?」という問いが多くの本に出てくる。
19世紀にJ.W.
Waterhouseという英国の画家が描いた「シャロットの女」という絵がある。高い塔に幽閉されタペストリーを織っている女性には呪いがかかっているので窓の外の世界を直接見たら死んでしまう。鏡越しに眺めることはできるが、それは鏡に映る世界の影にすぎない。実像ではないので彼女自身の内面を反映することにもなる。小さな視野に限定される不便な鏡だけれど、それなしには窓の外の様子を知り得ない。写真をめぐる議論と共通しているような気がする。
終の棲家として越してきた鎌倉を写している自分にとってカメラは外界を眺める道具である。たまには遠い国まで出かけてみるが、どこだろうと同じかも知れない。郷里を離れて以来、ほぼ3年の頻度で引っ越しを繰り返したので、かつて住んだ様々な土地はもう幻のように思われる。それでは現在住んでいる鎌倉は自分にとって現実の世界だろうか。レンズ越しに覗き見ながら虚実のいずれかだろうかと考える作業だ。