藤沢のジュンク堂に今年初めにお会いした柴田さんの写真集が置いてあったので入手した。76頁に見附市庄川のバス停の雪景色が登場する。見附の本町から細越坂を越えて栃尾へ向かう辺りで私は育った。刈谷田川の流れている庄川付近は季節を通じて自転車を走らせた辺りだ。75頁は守門村のバス停の写真である。刈谷田川の土手から守門山が見える。「仰ぐ理想は守門の峰に。。。」と見附市立見附小学校の校歌にも出て来る名山だ。今年は友人と守門山開きに行く予定にしている。74頁の栃尾小貫のバス停の写真にも雪が降っている。
これらのバス停が撮影された地域で育ったわたしを懐かしいような複雑な気持ちにさせる写真集だ。市の観光案内に載せたいような写真ではない。大林監督が映画「廃市」を撮った時に地元の人は映画の撮影中は歓迎したが、映画が完成すると落胆したという話を連想した。美しかろうがなんだろうが自分の故郷が廃れていくのは辛いものだ。この不思議な写真集にはそういう鄙びた村や町の、かろうじて廃線を免れているようなバスの停留所が出てくる。
この写真集のあとがきを読んでなるほどと思う。「バス停ははかない」のである。鄙びた村や小さな町のバス路線が廃止になれば撤去されて何も残らない。この写真集が写し出そうとしたのはそういうバス路線が近代交通の担い手として始まってから現在にいたる時間であり、やがて消えて行くであろうバス路線が存在したことの証人として無人のバス停との対話を試みる柴田氏の視線そのものなのだろう。
同じように長い時間をかけて自分のふるさと栃尾の日々の風景と人々を43年見続けて写真集を出した倉茂義隆さんのことを思い出した。倉茂さんの写真集に写っているのは現実の風景のはずだが、撮影している人の幻視のようにも見える。柴田さんが引き合わせてくれた写真家の方である。
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