二宮に菜の花を観に行った帰りに見つけました。同志社の創立者である新島襄の一番弟子から民権運動の闘士となります。その後政府寄りの言論が批判されましたが、愛国のジャーナリストとして広い交遊と健筆を誇ります。日露戦争後のポーツマス条約による講和では政府の姿勢を擁護して新聞社の建物が焼き討ちされています。太平洋戦の敗戦後は、A級戦犯の嫌疑をかけられました。
晩年は歴史家として著作の日々を送ったそうです。湘南に隠棲した後も付き従ってくれた秘書の方に当時手元に残っていた資料を託したのがこの記念館の始まりです。今、特別展示を開催中です。郷里旧制長岡中学の山本五十六大先輩が蘇峰老師に書いた手紙もありました。ご親族の海軍受験を相談されてのアドバイスでした。「坂の上の雲」の秋山兄弟からの手紙もありました。
http://www.soho-tokutomi.or.jp/
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