2015年12月30日水曜日

リバプール国立美術館所蔵 英国の夢 ラファエル前派展 Bunkamura ザ・ミュージアム 2015年12月

12月29日は観たい映画があったので渋谷へ。同じ建物の中で「国立リバプール美術館所蔵 英国の夢 ラファエル前派展」を観た。ラファエル前派と言えばこの秋まで住んでいたロンドンのテイト・ブリテンのコレクションが好きだったので懐かしい。

1993年の始めからの一度目のロンドン勤務の時に複製画を買って、それ以来あちこちをわが家の転勤と共に移動してきた。J.W.Waterhouse の「エコーとナルキッソス」だ。この絵のオリジナルが突然目の前に現れたので息を飲んだ。リバプールにはビートルズに縁のある場所が目的で訪れたことがあるが、その街にある国立ギャラリーにラファエル前派の凄いコレクションがあることは知らなかった。

テイト・ブリテンのミレイの作品「オフィーリア」は様々な本や雑誌に登場する。この画家の「いにしえの夢 浅瀬をわたるイサンブラス卿」など数点が展示されている。ロセッティという画家はこの秋にロンドンを離れる前に、チェルシーの家を訪れる機会があった。レイトン卿の作品がいくつか展示されていたのも素晴らしかった。今回の展示品には含まれていないが、この画家の「燃え上がる6月」という作品のポスターはロンドンの街かどで何度も見かけた。オレンジ色の衣装をまとった女性を描いたとても人気のある作品だ。この展覧会は凄い。





平井真夫画伯「ゼロ号サイズの想い出展」 2015年12月

平井画伯は私の母校新潟県立長岡高校の先輩である。水彩画家にして、建築家で、男の手料理のブログも持っている。画伯とのお付き合いは2年ほど前に始まった。フェースブックでわたしが当時住んでいたロンドンの建物や自然の写真を投稿し始めた時に寸評をいただくようになった。今年10月にロンドンを離れて帰国する前にリッチモンドの丘から撮った写真を絵にされ、送ってくださった。とても嬉しい。12月23日から4日間、新宿西口の高層ビルの展示フロアで水彩画展が開催された。都内各地だけでなく、画伯の出身地である新潟県長岡市からも数人の方が参加された。12月26日の最終日には、最新の「沖縄シリーズ」の絵にまつわるお客さまがお見えになり、思い出話で和やかな一時となった。この展覧会では長岡の信濃川べりの水道タンクの絵を入手した。

平井画伯のブログは面白い。水彩画と建築と料理と友人の想い出などがテーマごとに整理されている。そのブログの一つに忘文というのがある。忘文はワスレブミと読み、忘草(ワスレグサ)にちなんだものらしい。倍賞千恵子も菅原洋一も歌った「忘れな草をあなたに」という歌があるが、そのワスレナグサとは別の花だ。忘草は萱草とも書く。キスゲ亜科の多年草で、ニッコウキスゲなどに近い植物だ。音読みの「カンゾウ」という名前でも知られている。花が一日限りで終わると考えられたことからの命名で、はかない美しさの象徴とされている。夏の季語だ。憂いを忘れるとの意味で「忘憂草」とも呼ばれるそうだ。

立原道造という詩人の「萱草に寄す」という詩集がある。この人の名前は知っていたが、詩集の読み方を知らなかった。岩波文庫版の「立原道造詩集」を読んでみると、風や、木立ちや、小川の水面や、月をテーマにした抒情詩の世界だ。ロンドンを離れる前にたくさんの時間を過ごしたチズイック庭園やイザベラ・プランテーションの世界を思い出した。この早逝した抒情詩人は建築家だった。水彩画で心に残る風景を描き続ける平井画伯と共通している。





以下の作品は去年の夏にいただいたレプリカです。

12月23日の個展とお祝い会の様子。





2015年12月 東京国立博物館 「始皇帝と大兵馬俑」展

12月23日に上野で兵馬俑展を観に行った。最初のセクションで考古学の展示だったが、大ホールに出ると西安からはるばる運ばれた実物大の兵馬俑に圧倒された。そのホールの一面にレプリカが配置されているのも迫力たっぷりだった。その一角に撮影OKコーナーがあった。










2015年11月25日水曜日

頭脳警察のパンタさんに会った

頼まれた用事があったので、雨の土曜日に朝5時起きして多摩湖・狭山湖周辺に出かけた。小雨の中での作業で疲れたが、楽しい一日だった。翌週もその続きがあった。

お昼の弁当タイムになった。頭脳警察のパンタさんが知人の方の応援に来ていた。わたしがこの人を知ったのは大学生だった70年代後半の話だが、まだ数曲は空で歌える。「世界はがらくたの中に 横たわる かつてはとても 愛していたのに。。。」 、「道なき道を がむしゃらに 手さぐりで走ってきた 今まで 暗くて何も見えなかった。。。」、

この話をフェースブックに投稿すると、A君からコメントが来た。「発禁のアルバムを手に入れて聴いてた。さようなら世界夫人よとか名曲だったなぁ。3億円事件の指名手配写真がジャケットだったね。」 A君は高校の同級生だ。二人とも東京の大学生になって下宿していた頃に吉田拓郎も、中島みゆきも、荒井由美も、オフコースも、茶木みやこも、頭脳警察もTDKのテープに録音してくれた友人だった。それをテープの音質が悪くなるまで聴いてから、時々はLP盤を買った。

それから30年以上経って、その昔に発禁だったLPがCDになって東京の大きなお店で堂々と売られているのを見つけて購入した。時の流れを感じた。いくつかの放送禁止用語の入った過激な曲は入っていない。

海の灯台 砂漠の灯台

1991年の1月に日本を離れてから25年間の海外生活の後で、この秋に日本に戻った。一足先に戻っていたつれあいと藤沢の仮住まいで合流した。海岸沿いではないが少し歩けば海に出ることができる。川が流れているのでユリカモメの群れもいる。カワウやカルガモなどの水鳥を懐かしく思うのはこの秋まで住んでいたロンドンのチズイック周辺を思い出すからだと思う。2匹の犬の散歩で朝晩歩いた場所だから懐かしい。

江の島の灯台の写真を眺めていると1999年から始めて12年ほど続いた途上国勤務を思い出す。今のようにITのおかげで世界中どこにいても友人たちと連絡がつくという時代ではない。ウィーンからロンドンへと海外生活を始めた頃の都会暮らしではそうでもなかったが、中央アジア―バルカン半島ー中央アジアと現地勤務を続けると、ほぼ完ぺきな離れ小島状態になった。Eメールもまだ日本語ソフトが使えなかった時代のことだ。

仕事は面白かったし、不便な生活というのは読書時間が増えるのでそう悪いものでもない。それでも時折り映画「喜びも悲しみも幾年月」の主題歌を歌っていた。灯台守の歌だ。中央アジアは山と砂漠とオアシスの連なりでできている。ブハラやヒバなど城壁に囲まれた都市の中央には高い塔 (ミナレット)がある。これらは様々の目的で作られたらしいが、砂漠を旅した隊商にとっては灯台としての役割も果たしのだろう。











加藤節雄先生の外務大臣表彰 2015年秋

ロンドンで写真クラブを主宰されている加藤節雄先生がこの秋に日本政府により外務大臣表彰された。45年にわたる日英友好と英国における邦人社会への貢献が公式に認められたもので、写真クラブでお世話になったメンバーの一人としてとても嬉しい。先生ご夫妻と写真クラブのメンバーの皆さんの祝賀会での写真が送られてきた。10月初めの帰国のフライトが数日遅ければ、わたしもいたはずなのでちょっぴり残念。

写真クラブのブログに、逆光写真のテーマで9月の例会の最優秀評価をいただいたリッチモンドの夕暮れの鹿の写真が掲載されている。単身赴任だったこの一年間で一番力の入った活動は2匹の犬の散歩をしながらの写真撮影だったので、ロンドンを離れる直前に月間賞を受賞できたのはとても嬉しい出来事だった。









2015年10月12日月曜日

ダンテ・ガブリエル・ロセッティの絵 テート・ブリテン

9月にチェルシーにあるカーライル博物館を訪れた。その昔ロンドン留学中の夏目漱石が訪れた場所だ。その時に、その近所に英国のラファエル前派の画家ダンテ・ガブリエル・ロセッティが住んでいたことを知った。それから数日後に今度はクラパムにある夏目漱石が下宿していた家を訪ねたついでにこの界隈をテムズ川まで歩いてみた。チェルシー橋までは20分。ロセッティの住んでいた家はアルバート橋のたもとでさらに10分ほど歩いた。

ロンドンを去る直前にテート・ブリテンに行って見ると名前を確認しないまま印象に残っていた幾枚かの絵がこの画家の作品であることを知った。わたしにとってのラファエル前派というのはウォーターハウスであり、バーン・ジョーンズだったのでこれまであまり注意を払っていなかったけれど、テート・ブリテンを訪れるたびに観ていたのでなじみがある。









ウィリアム・ブレイクの絵 テート・ブリテン

ロンドンを離れる前に気になっていて実行したことがいくつかある。テート・ブリテンに行ってウィリアム・ブレイクを観ることもその一つだった。このギャラリーでラファエル前派の部屋を観るのも大好きだが、薄暗い照明のブレイクの小部屋を訪ねることは同じ館内とは言え、ほとんど別の試みだ。

ブレイクの絵は1987年に初めてロンドンを訪れた時に初めて観た。英国の詩人であり、画家でもあるブレイクの名前を知ったのは学生時代に読んだ大江健三郎の小説やエッセイからだった。「新しい人よ、めざめよ」などに登場する。