2016年12月31日土曜日

40年以上経って「私の夢」に再会した

2016年12月に千葉県佐倉市にあるDIC川村記念美術館を訪れた。ここで開催されていたレオナール・フジタ展で40数年ぶりに「私の夢」に再会した。この絵は私が中・高生の頃長岡の現代美術館に所蔵されていた。やがてこの美術館のオーナーの銀行が経営破綻し、所蔵品は各所に分散して引き継がれた。

1993年に長岡市の信濃川ベリに新潟県立近代美術館ができると、
フジタの「私の夢」はこちらの所蔵となった。長い間、再会を夢見てきたが海外での生活が続いていたので2015年の秋に帰国するまで機会がなかった。各地の美術館では相互の貸出が盛んらしく人気のあるこの絵は頻繁に旅をしていたので、一時帰国の時には会えなかった。

40年ぶりの再会には新しい発見があった。今回の展示で「私の夢」の左隣にもう一枚の絵がかけてあった。絵の中央に横たわる乳白色の裸婦像はそっくりだ。右側の展示の「私の夢」が何故暗い印象があるのか?何故眠る裸婦像の周辺で十数匹の猫たちが侃々諤々の議論でもしている様子で踊っているのか?

2枚の絵の制作年を確認してみると、一方はフジタがパリの画壇の寵児として脚光を浴びていた頃の絵である。もう片方は戦後に戦争協力のの批判にさらされ日本を捨てる直前に描かれた絵である。どちらの絵でも中央にある裸婦像はほとんど同じ表現となっている。変わったものと変わらないものの対比が鮮やかだ。




 
 
 

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