2016年6月30日木曜日

英国のEU離脱をめぐる国民投票 英紙でニュースをフォローしてみた

英国がEUから離脱するか残留するかについての国民投票が6月23日に行われた。円とポンドの為替の動きが気になった。投票直前の世論調査がやや残留派有利ということで円ポンド相場は一時は160円に戻し、円ドル相場も連動した。それから数時間後に2008年のリーマンショックの時以来の急落となった。6月末の時点で138円をつけている。「金融センターとしてのロンドンと強い経済を維持するためには残留が必要」とする残留派も、「英国の主権をEUによって制限されたくない、移民問題やユーロ危機などで英国は独自路線をとりたい」とする離脱派も大先輩チャーチルを自分たちの味方だと考えていたようだ。

キャメロン首相は遊説先で「チャーチルは苦しい時にも欧州の結束を堅持した」と訴えた。離脱派のリーダー格である前ロンドン市長のボリス・ジョンソンは2014年に書いた「チャーチル・ファクター」という評伝の中で「EU懐疑派も親EU派のどちらもチャーチルを自分たちの側にいると考えている」、「チャーチルはNATOの例も米との同盟の例もあるとして、主権を制限されることについてはEU参加に限ったことではないと指摘した」、「チャーチルは欧州統合を当時のロシアなど対外的な脅威への防波堤として必要だと考えていた」と指摘していた。チャーチルが存命だったらどういう発言をすることになるのか本人に聞いてみたい。

開票が終わってみると、ロンドンなど都市部と地方の田舎部で分かれている「空気」について、中央の政治家たちはロンドン寄りの空気を読んでいたらしく、大波乱の結果となった。漁業者や国際化と関係のない仕事の人たちは経済的な理由での移民の急増やEUの無駄使いの話を聞いてEU離脱に傾くのは仕方がない。それにしてもEUの役割は多岐にわたるのでそれぞれの分野での影響を諮問委員会でまとめ、その調査結果を国会論戦にかけてから、国民投票で決めてもよさそうなものだ。こういうプロセスは抜きの大勝負となった。

新聞を読んでいて呆れたのは離脱に票を投じた人たちが「まさか勝つとは思わなかった」、「離脱の影響について、投票結果が出た後で初めて知った」などと発言したことだ。どうしてこんなことが起きるのだろうか? 昨年までロンドンに住んでいた時の週末の楽しみは自然豊かな公園散策と並んで朝のスタバか夕方のパブで新聞を読むことだった。質量共に豊かで週刊誌を読む以上に楽しい。仕事がらみや文化欄は堅い新聞で、世間話やゴシップは柔らかい新聞が充実している。「ザ・メール」という柔らかい方の新聞がある。EUから離脱という投票結果を受けて、この新聞が「離脱の影響」について特集したところ、「離脱」に投票した読者たちから「そんなこと聞いてなかった!」という投書が多数寄せられた。堅い方の新聞には両論併記してあったはずだが、読まれていなければ仕方がない。 

もう一つびっくりしたのは、威勢のいい演説で聴衆をあおった離脱派の政治家たちが、勝利した途端に過激な公約を取り消そうとしたことだ。英国独立党のファラージ党首はEU離脱キャンペーンの目玉キャッチフレーズの一つだった「離脱すれば英国がEUに支払っている分担金をNHS(国民健保)に振り向ける」という公約について質問されると「そんな約束はしていない」と答え、引用した数字を訂正した。彼の投票前の発言は録画されていたので、失笑を買った。この人の場合はもともとそういうイメージなので「さもありなん」という感じだ。保守党内部でキャメロン首相に反対して、離脱運動を指揮したキャンペーン・マネージャーが「英国はEUを離脱しても移民労働者を受け入れるべきだ」とTVのインタビューに答えて反響を呼んだ。司会者は「投票前は反対のことを言っていたじゃないか」と抗議している様子が報道されている。

都市部のロンドンを中心に投票のルール変更とやり直しを請願する人が400万人を超えたそうだが、これでは無理もない。ヴァージン・グループを率いるリチャード・ブランソン氏のブログ記事を在英の友人がシェアしてくれた。離脱派が偽りの宣伝をしてきたことが明らかになったので再投票がなされるべきだという主張だ。その中にもう一つびっくりの指摘がなされている。「英独立党ファラージ党首が数か月前のインタビューで「残留派が僅差で勝った場合には再度の投票が必要だ。残留派は3分の2以上の差をつけて勝つ必要がある」と発言していた。離脱派のこの主張は今こそ、その逆のシナリオではあるが実行されるべきだ」。

英紙ガーディアンに面白い記事があった。古代ギリシャが都市国家だった時代に、アレキサンダー大王以来の軍事的天才と言われたピュロス(Pyrrhus)という王様がいた。新興のローマに攻め入り勝利したが、味方陣営も多大な犠牲を払った。それ以来、味方の被害も甚大な苦しい勝利のことを「ピュロスのような勝利」と呼ぶそうだ。同紙は国民投票の結果についての論説にこの表現を使い「ボリス前ロンドン市長はもちろん知ってるだろうけど」と皮肉っている。

英人の同僚たちとパブでビールを飲んだ時のことも思い出した。気風の良い人から始まって一人が全員の分を払うのが大人の作法だ。結果として皆で延々と全員におごり合うことになり、パブのお付き合いは長時間にわたる。この時にいつも払わないフリーライダーは「ずるい」やつなので自然に仲間から外される。相対的に景気の良かった英国はEUというパブに入って「みんなで一緒にやろうぜ」という時に、飲み代の分担の話を持ち出したことはこれまではなかった。2010年頃からユーロ危機が顕在化し、昨年あたりから議論されている難民問題が実はEU拡大の頃からすでに存在していた経済移民の問題と不可分であることに気がついた頃から、「英国の割り勘負け」状態を懸念する人々の数が急増したのだろう。もともと格差の大きい英国社会の内部でも「強くて景気の良い英国」を実感できない人たちが増えたことが、今回の投票結果の背景にある。

2016年6月21日火曜日

バッテラと棒寿司 ロンドン「但馬亭」で棒寿司を食べたこと 

フェースブックには一年前の投稿を再読させてくれる機能がついている。良い記憶につながる場合はありがたい。そうでない時もあるが、フェースブックには記録したいことを書くので、リマインダー機能に感謝することが多い。

去年の今頃の送別会の投稿が出てきた。以前のロンドンの職場を退職したのは去年の7月なので、6月には何度か送別会をしていただいた。職場の邦人の同僚8人で「但馬亭」に集まってもらったのも懐かしい。皆さん長く職場にいて仕事で関わった人たちだが、家族のある女性陣5人と飲んだり、食事したことはほとんどないので貴重な機会だった。この日本レストランは地下鉄セントラル線のチャンセリー・レーン駅の近くで、職場まで歩いても30分くらいのところにある。

ビールの小瓶の後で男性陣3人は麦焼酎のボトルを空けた。つまみの松前鮨と鰻棒寿司が美味しかったので鯖寿司についてググッてみた。棒寿司とバッテラはどう違うのだろう?バッテラはポルトガル語の小舟に由来するとするものが多数意見で、オランダ語由来だとする少数意見もあるようだ。パリを訪れてセーヌ川下りをした時のボートも「バトー」で似たような音だった記憶がある。そんなことをフェースブックに投稿してみると、物識りのKさんが即座に教えてくれた。「Boatにあたる標準ポルトガル語は Barco (英語の barge = はしけ、と同じ語源)ですが、漁師が漁に使う小舟は Bateiraと呼ばれます。」ふーむ、博覧強記とはこの人のことだ。

ロンドン金融街の風景
 

2016年6月20日月曜日

「サラセン人の麦」って何?

去年の暮れに渋谷で「リバプール美術館 ラファエル前派展」を観た時に「サラセン人の娘」という題名の絵があり、久々に「サラセン」という言葉に触れた。それがきっかけで調べてみると、現在ではこの言葉は使われないという説明を見つけた。「アッバース朝イスラム帝国」ならば良くて、当時の欧州人が使っていた西側の言葉は良くないということらしい。そういう理由での地名の変更は他にもたくさん例がある。インドの街の名前がたくさん変わった時もびっくりした。若い頃のバックパックの旅の思い出につながるのは古い地名のほうだから、それが消えてしまうのは寂しい。

「サラセン人の麦」も珍しいので残してほしい言葉だ。2年ほど前にフェースブックで欧州言語同時翻訳ソフトという優れものが紹介されていた。面白いのでしばらくはキュウリ、ピーマン、紫陽花などの名前の変化と分布を眺める一人遊びにはまっていたことがある。蕎麦は英語ではbuckwheatと言う。これを翻訳ソフトに入れると仏語で「サラセン」、露語で「グレチカ」などと出てきた。この時に出てきた「saracen」というローマ字を読んだ時は、日本の更科蕎麦(sarashina)を食べた人がフランスに外来語として持ち込んだのかなと思った。ググって見ると中国原産の蕎麦がサラセン帝国経由で欧州に広まったとある。

蕎麦は昔から好きだが、仕事で中央アジアに長い間住んだ時に蕎麦の美味しさを再発見している。キルギス共和国の首都ビシュケクに駐在していた時の職場にキッチンがあった。お昼になるとロシア人のおばさんが腕を振るってくれた。この時に付け合せとして頻繁に登場したのがグレチカだった。東西の食べ物の類似はとても面白いので、他にもブログで書いている。


 

2016年6月14日火曜日

キュウリとガーキンの違いについて

ロンドンの金融街シティの風景として登場することの多い丸みを帯びた高層ビルはガーキン(Gherkin)という愛称で呼ばれる。辞書を引くと「ピクルス用の若いキュウリ」とある。そのままキュウリと訳してはいけないのだろうか?しばらく前にフェースブックで欧州多言語翻訳ソフトという優れものが話題になったことがある。このソフトを使って英語の「キュ-カンバー(cucumber)」をチェックしてみると独語で「グルケン」、露語で「アグリエッツ」と出てくる。

「ガーキン」という言葉は東欧・旧ソ連地域でキュウリを示す言葉の中の「グル」や「グリ」の音に似ている。冬の厳しい地域で保存食であるピクルスをよく食べることは独語圏のウィーンに住んだ時の記憶とも、仕事で冬の旧ソ連圏の国々を訪れた時の記憶とも合致する。訪れた街角のレストランで前菜やサラダのメニューの中にピクルスの盛り合わせがあるかチェックすれば明らかだ。

わたしは酢漬けのトマトもキャベツも大好きだ。キュウリのピクルスも好きだが、これはこりこりしていないと美味しくない。「ふーむピクルスのキュウリはロシア系とかドイツ系の友人の家のパーティで食べたのが美味しいなあ。だからこれはキュウリとは違うんだ。ガーキンでなければ」というふうに英語圏の人たちがいつもとは違う言葉を愛用するようになっても不思議ではない。

http://www.ukdataexplorer.com/european-translator/?word=cucumber



 

2016年6月10日金曜日

サルビアとセージにはいろいろな種類がある

初夏になって道端でよく見かけるようになった2つの花がある。一つは濃紺で、一つは鮮やかな赤色だ。大きさも見た目も違うので違う種類だと思っていた。図鑑で名前を調べていたら共通点があるようだ。一つはサルビア・ガラニチカ。パラグアイ原産でシソ科アキギリ属の花。メドウ・セージとも呼ばれるがこれは誤りだという説明がついている。もう一つはサルビア・ミクロフィラ。メキシコ原産でシソ科アキギリ属の小さな花。可憐な花でチェリー・セージという英名がある。

印象がまったく異なる2つの花になぜどちらも「サルビア」、「セージ」、シソ科アキギリ属」という3つの言葉が共通して出てくるのか不思議なので調べてみると面白いことに気がついた。シソ科アキギリ属の学名がサルビアだ。この花には様々な種類があって世界中に分布している。総称として「セージ」と「サルビア」が用いられている。細分類された多くの花が「サルビア・xxx」と「yyy・セージ」の二つの名前で呼ばれている。

70年代に相沢靖子作詞、早川よしお作曲でヒットした「サルビアの花」に歌われたのはサルビア・スプレンディスともスカーレット・セージとも呼ばれる赤い花だ。「あなたの部屋の中に投げ入れたくて そして君のベッドにサルビアの赤い花。。。。」 同じ頃にサイモンとガーファンクルの「スカボロ・フェア」という名曲がある。「パセリ、セージ、ローズマリー&タイム」というフレーズが繰り返し出てくる。スカボロの市場に4種類のハーブを買いに行ったのだろう。

2つの花の写真を眺めているとどちらも唇状の形に見えてくる。可憐なサルビア・ミクロフィラは園芸種として赤も白も紅白もありあちこちで見かける。「ホット・リップス」という呼び方もあるらしい。なるほどだ。濃紺の花も赤い花もどこか哀しくて妖しい感じがする。悲しい恋の歌に似合っている。
サルビア・ガラニチカ


サルビア・ミクロフィラ


サルビア・スプレンディス