先日の「ロンドン題名のない音楽会」で、英国県人会で知り合った声楽研究会メンバーのMさんがイタリアの歌曲「わすれなぐさ」を歌った。カンツォーネの名曲でドミンゴやパヴァロッティもそれぞれコンサートの持ち歌にしていたそうだ。地下鉄グリーンパーク駅の近くにあるレストランの地下室の会場で歌声に耳を傾けた。タシケントで半年ほど歌の先生について稽古をした時の練習曲の一つだったので懐かしい。2004年の話だ。その時に教わった「ソレントへ帰れ」も良く知られている。
ロンドンで通称「題名のない音楽会」が開催された理由の一つは9月後半にロンドンで「ジャパン祭り」が開催されるので、その練習を兼ねていたからだ。お祭りイベントの一つとしてのど自慢大会が開かれる。予選を勝ち抜いた15人の皆さんがトラファルガー広場に特設された舞台の上で歌声を披露する。ロンドン在住のプロの演奏者の方々もゲスト出演されて楽しいコンサートだった。
タシケントのエフゲニー先生はロシア人だった。先生のレッスンは「楽しみながら声を出す」方針なのでジャンルは自由だった。ジャズやポップスのいくつかを英語で習った。 ”As Time Goes By”、 ”Misty”、 ”Moonlight Serenade” など懐かしい。イタリア歌曲のいくつかをロシア語で習った。楽譜に書かれている歌詞の意味はさておき、フレーズごとに先生の真似をして覚えて行く授業だった。先生はタシケントの音楽学校で教えていて、ご自分の生徒を集めて定期の発表会もされていた。「だいぶ声が出るようになってきたね。次の発表会に出てみたら?」というコメントをいただいたのはタシケントを離れる直前だったので、ステージデビューは夢のままとなった。2004年の秋にタシケントからスコピエに転勤した。
タシケントのエフゲニー先生はロシア人だった。先生のレッスンは「楽しみながら声を出す」方針なのでジャンルは自由だった。ジャズやポップスのいくつかを英語で習った。 ”As Time Goes By”、 ”Misty”、 ”Moonlight Serenade” など懐かしい。イタリア歌曲のいくつかをロシア語で習った。楽譜に書かれている歌詞の意味はさておき、フレーズごとに先生の真似をして覚えて行く授業だった。先生はタシケントの音楽学校で教えていて、ご自分の生徒を集めて定期の発表会もされていた。「だいぶ声が出るようになってきたね。次の発表会に出てみたら?」というコメントをいただいたのはタシケントを離れる直前だったので、ステージデビューは夢のままとなった。2004年の秋にタシケントからスコピエに転勤した。
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