1993年にロンドンに赴任して2年ほど経った時にケンジントンのチャーチ・ストリートの画廊に藤田嗣治のリトグラフで肩から上の婦人像が飾ってあるのを見つけた。週末になると散歩のついでにそのプリントを眺めに行った。3か月くらい通った記憶がある。Foujita 1931というサインが入っている。その年が明けた頃にロンドン生活の記念として買うことにした。アゼルバイジャンのプロジェクトの調印がうまくいってもらったボーナスの記念でもある。それから中央アジアやバルカンの国々に赴任した時も、このプリントはいつも一緒に旅をしてきた。
ロンドンの画廊で見つけた藤田嗣治の作品にこだわったのは、この画家の「私の夢」という絵に思い入れがあったからだ。輝くように白い、透き通るように美しい人が横たわっている絵だ。背景は黒で、眠るその人のまわりをカラフルな猫たちが取り囲んでいる。この絵は郷里である長岡市に現代美術館があった頃の所蔵作品だった。この美術館には佐伯祐三の「広告塔」などいくつもの傑作が並んでいた。長岡の奇跡だった。
この美術館のベースになっていた大光コレクションのオーナーの銀行が70年代の終わりに経営破綻し、コレクションは各地に分散した。残った作品が1993年に信濃川のほとりにオープンした新潟県立近代美術館(長岡市)に引き継がれた。この絵が観たくて日本に帰った時に数度訪ねているが、なかなか再会の機会がなかった。収蔵作品数が限られている地方の美術館は、お互いの所蔵品を交換し合っているらしい。良いアイデアだが、目玉となる作品があちこちの巡回展で留守のことが多い。2015年に帰国して数年経った頃に千葉県佐倉市にあったDIC川村記念美術館で藤田嗣治の大規模な回顧展があり、40年数年ぶりに「私の夢」に会えてうれしかった。この再会の場所となった美術館は2025年3月に休館となり、所蔵品の一部は六本木の国際文化会館に移転している。
ロンドンの画廊で見つけた藤田嗣治の作品にこだわったのは、この画家の「私の夢」という絵に思い入れがあったからだ。輝くように白い、透き通るように美しい人が横たわっている絵だ。背景は黒で、眠るその人のまわりをカラフルな猫たちが取り囲んでいる。この絵は郷里である長岡市に現代美術館があった頃の所蔵作品だった。この美術館には佐伯祐三の「広告塔」などいくつもの傑作が並んでいた。長岡の奇跡だった。
この美術館のベースになっていた大光コレクションのオーナーの銀行が70年代の終わりに経営破綻し、コレクションは各地に分散した。残った作品が1993年に信濃川のほとりにオープンした新潟県立近代美術館(長岡市)に引き継がれた。この絵が観たくて日本に帰った時に数度訪ねているが、なかなか再会の機会がなかった。収蔵作品数が限られている地方の美術館は、お互いの所蔵品を交換し合っているらしい。良いアイデアだが、目玉となる作品があちこちの巡回展で留守のことが多い。2015年に帰国して数年経った頃に千葉県佐倉市にあったDIC川村記念美術館で藤田嗣治の大規模な回顧展があり、40年数年ぶりに「私の夢」に会えてうれしかった。この再会の場所となった美術館は2025年3月に休館となり、所蔵品の一部は六本木の国際文化会館に移転している。
旧長岡現代美術館の建物{現在は長岡商工会議所)
現在の新潟県立近代美術館(長岡市)
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