2015年11月25日水曜日

頭脳警察のパンタさんに会った

頼まれた用事があったので、雨の土曜日に朝5時起きして多摩湖・狭山湖周辺に出かけた。小雨の中での作業で疲れたが、楽しい一日だった。翌週もその続きがあった。

お昼の弁当タイムになった。頭脳警察のパンタさんが知人の方の応援に来ていた。わたしがこの人を知ったのは大学生だった70年代後半の話だが、まだ数曲は空で歌える。「世界はがらくたの中に 横たわる かつてはとても 愛していたのに。。。」 、「道なき道を がむしゃらに 手さぐりで走ってきた 今まで 暗くて何も見えなかった。。。」、

この話をフェースブックに投稿すると、A君からコメントが来た。「発禁のアルバムを手に入れて聴いてた。さようなら世界夫人よとか名曲だったなぁ。3億円事件の指名手配写真がジャケットだったね。」 A君は高校の同級生だ。二人とも東京の大学生になって下宿していた頃に吉田拓郎も、中島みゆきも、荒井由美も、オフコースも、茶木みやこも、頭脳警察もTDKのテープに録音してくれた友人だった。それをテープの音質が悪くなるまで聴いてから、時々はLP盤を買った。

それから30年以上経って、その昔に発禁だったLPがCDになって東京の大きなお店で堂々と売られているのを見つけて購入した。時の流れを感じた。いくつかの放送禁止用語の入った過激な曲は入っていない。

海の灯台 砂漠の灯台

1991年の1月に日本を離れてから25年間の海外生活の後で、この秋に日本に戻った。一足先に戻っていたつれあいと藤沢の仮住まいで合流した。海岸沿いではないが少し歩けば海に出ることができる。川が流れているのでユリカモメの群れもいる。カワウやカルガモなどの水鳥を懐かしく思うのはこの秋まで住んでいたロンドンのチズイック周辺を思い出すからだと思う。2匹の犬の散歩で朝晩歩いた場所だから懐かしい。

江の島の灯台の写真を眺めていると1999年から始めて12年ほど続いた途上国勤務を思い出す。今のようにITのおかげで世界中どこにいても友人たちと連絡がつくという時代ではない。ウィーンからロンドンへと海外生活を始めた頃の都会暮らしではそうでもなかったが、中央アジア―バルカン半島ー中央アジアと現地勤務を続けると、ほぼ完ぺきな離れ小島状態になった。Eメールもまだ日本語ソフトが使えなかった時代のことだ。

仕事は面白かったし、不便な生活というのは読書時間が増えるのでそう悪いものでもない。それでも時折り映画「喜びも悲しみも幾年月」の主題歌を歌っていた。灯台守の歌だ。中央アジアは山と砂漠とオアシスの連なりでできている。ブハラやヒバなど城壁に囲まれた都市の中央には高い塔 (ミナレット)がある。これらは様々の目的で作られたらしいが、砂漠を旅した隊商にとっては灯台としての役割も果たしのだろう。











加藤節雄先生の外務大臣表彰 2015年秋

ロンドンで写真クラブを主宰されている加藤節雄先生がこの秋に日本政府により外務大臣表彰された。45年にわたる日英友好と英国における邦人社会への貢献が公式に認められたもので、写真クラブでお世話になったメンバーの一人としてとても嬉しい。先生ご夫妻と写真クラブのメンバーの皆さんの祝賀会での写真が送られてきた。10月初めの帰国のフライトが数日遅ければ、わたしもいたはずなのでちょっぴり残念。

写真クラブのブログに、逆光写真のテーマで9月の例会の最優秀評価をいただいたリッチモンドの夕暮れの鹿の写真が掲載されている。単身赴任だったこの一年間で一番力の入った活動は2匹の犬の散歩をしながらの写真撮影だったので、ロンドンを離れる直前に月間賞を受賞できたのはとても嬉しい出来事だった。